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屈折した愛情

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作品名喰いたい放題
作者名色川武大
評価(星3つ)
 阿佐田哲也の訃報を聞いたのは、高校三年の春だった。二年間通った高校をクビになり、新たな地で、新たな生活を始めた矢先だった。「色川武大さんが亡くなったらしいよ」と、教えてくれたのは母だったと思う。何の感慨も抱かなかった。新しい環境に慣れるのに精一杯で、それどころではなかったのだ。返事をしたかどうかも記憶にない。なぜなら、僕は不覚にも、その名が阿佐田哲也と同一人物を指すのだとは知らずにいたからだ。
 阿佐田哲也は、漫画と児童文学しか知らなかった僕に、初めて大人の世界を垣間見せてくれた作家だ。同時に麻雀の師匠でもある(だから弱いのかもしれない)。一方で、色川武大の名前も知ってはいた。著書も、直木賞受賞作を中心に、数冊読んでいた。割と好きな文体だった。にもかかわらず、僕はこの作家の書くものを良いとは認めたくなかった。

 晩年の作品に「喰いたい放題」というエッセイがある。もうすっかり脂っこさが抜けてしまった頃のものだ。いわゆるグルメ本なのだけれど、他の作家のそれと比べて特に変わっているのは、殆どが作者の好き嫌いに終始している点だ。どこそこの何が旨いというのではなく、これはこうやって食すと美味だというのでもなく、これは好きこれは嫌いというレベルで終わっている。それだけならいいのだけれど、その食の好みが、僕の嗜好と悉く逆を行っている。僕のあまり好きでないソラマメを「これさえあれば他はいらぬ」と言い、女子供の食い物だと馬鹿にしていた「もんじゃ」に一考説たれ、とどのつまりは「蕎麦はうどん粉に限る」と言い切る。蕎麦っ喰いの僕としては憤懣やるかたなしだ。うどん粉が好きなら黙ってうどんを食えばいいのだ。なぜそこで蕎麦を引き合いに出す。

 どんなに尊敬してやまない相手であれ、食の好みがあわないと心中は穏やかでない。一緒に飯を食いに行ったとして、同じものを食べて同じ感慨を抱けぬとあれば、肩透かしを食ったような気分に陥るだろう。それが一つや二つではなく、食全体に及ぶのだから始末に悪い。なにやら、鼻で嗤われているような気すらする。

 ときどき、ふと思い出して阿佐田哲也の本を引っ張り出し、読んでみようかなという気分になる。我ながら馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、決して色川武大ではなく、阿佐田哲也だ。それは、僕が一番尊敬してやまない作家だから。色川武大を敬遠するのは、色川武大を愛してやまないからだ。わかるかな、わかんねえだろうな。
 

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by tigersteamer | 2013-02-22 16:25 | | Comments(0)