おもいでカフェ

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 南阿蘇村の「みそらや」は和菓子とコーヒーのお店だ。ただし軽食の類はない。人伝に評判を聞いた時にイメージしたのとは少し違っていた。阿蘇外輪山の麓にあって、長閑で静謐な空気に包まれてはいるけれど、人里離れたというほどの山奥ではなかった。

 生活音を完全に隔てていて、時の流れる速度さえ緩やかな気がする。思索に向いている。本でも読みながら、ゆっくりと寛ぐためのお店だ。日帰りツーリングの途中で立ち寄って、時間を気にしながら利用するのはもったいないかもしれない。
 庭、建物、調度品や小物、接客に至るまで、すべてにこだわりが注ぎ込まれている。手作りの和菓子は意匠と呼ぶにふさわしい。小さくて繊細で、眺めているだけで楽しくなる。南阿蘇の土産にすれば喜ばれそうだ。店主は古いBMWのオーナーだそうだけれど、表立ってそれと分かるところはない。ただし、店内をよく見渡せば、ところどころにヒントが落ちている。
 フレンチプレスのポットから、空のカップにコーヒーが注がれると、気忙しい日常の合間に紛れ込んでいた忘れがたい出来事が、濃い香りと色合いをもってじんわりと蘇ってくるような気がした。

 ぶさいく餅の婆様が亡くなったのは一昨年の夏。てっきり九十路を越えたあたりと思っていたけれど、まだ八十五だった。風呂場で滑って足の骨を折ったのが、そこから遡ること半年ほど前だそうだ。
 畑に出ずっぱりな嫁に代わって惣菜屋の店頭に立ち、丸眼鏡を押し上げながらチマチマと釣銭を数えていた。腰こそ曲がってはいるものの、声に張りがあって足腰もシャンとしていた。そんな彼女が、入院してからは坂道を転がり落ちるように体力が落ちて、ひと月も経たないうちにベッドで寝たきりの生活になったのだそうだ。百姓仕事の片手間なので切実さはないものの、町ぐるみの思いやりで永らえていたような店だから、何かのきっかけで食べられなくなる事があるかもしれないとは思っていた。しかし、こんな終わり方は予想だにしていなかった。

 ぶさいく餅のファンは、残された家族が思っていたよりもずっと多かったらしい。周囲の要望に応えるかたちで再び売り始めたものの、長男のお嫁さんが作ったのは単なる甘くない蓬餅で、婆様のものとはどこか違っていた。
「こげなことになるとなら、婆ちゃんが元気なうちに、よおと教わっとけばよかったち思います」
 材料は同じはずだとお嫁さんは言う。たしかに、見た目は同じに見える。皮の厚さも小豆の潰れ具合も記憶している通りで、一生懸命似せようと試行錯誤したあとがあった。それだけを食べるなら決して悪いできではなかった。おそらく客の求めるところが大きすぎたのだ。
 なにか手がかりになればと記憶の襞を探ってみるものの、そもそも蓬餅のレシピすら知らない僕に教えてあげられることなどない。できるのは婆様の思い出話をすることくらいだ。
 暇もないし、もう店は閉めようかと思います。お嫁さんは少し寂しそうに笑った。おばあちゃんのヨモギ餅、画用紙とボール紙で作った手書きの札が、寄る辺なく立てかけてあった。

 婆様の店も、みそらやと同じような立地だけれど、高速道路が近くを通っていて、お世辞にも静かとは言いがたかった。野菜の無人販売所に毛が生えたような荒ら家で、吹きっさらしの店の前には、丸椅子が数脚置いてあった。いつも同じ年恰好の年寄りが長居しては、婆様と世間話に花を咲かせていた。
 ちっとも甘くなくてパサパサしているくせに、コーヒーとの相性が抜群に良い。ふたつを合わせると確かに甘い、不思議なバランスでできていた。ツーリングの行きがけに4つ5つと買い込んで、景色の良い場所で食べるのが好きだった。缶コーヒーの味を何倍にも引き立ててくれた。
 しばらくは店を休みがちにしていたので、おかしいとは思っていた。再開してからも、そこに婆様の姿はなく、ぶさいく餅が店先に並ぶこともなかった。顛末を知ったのは何ヶ月も経ってからだ。

 まるで似ていないのに、なぜか懐かしい。みそらやでコーヒーを飲みながら、脳裏にありありと浮かんだのは、農道の側で陽炎のように揺らぐ婆様の店の佇まいだった。日がな一日つけっぱなしだったAMラジオの、雑音混じりの音声が聞こえたような気がした。

関連:黒死病
 
店舗情報
みそらや
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陰3978-1

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by TigerSteamer | 2015-03-25 14:49 | 食べ物一般 | Comments(0)
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