フォーといえばガー

b0190505_438479.jpg
b0190505_438777.jpg
b0190505_4381186.jpg
b0190505_4381571.jpg
使った金額1,000円~1,999円
評価(星3つ)
 何をやっても長続きしなかっただけなので自慢にも何にもなりゃしないのだけれど、僕の職歴は長い。1週間もたなかったライン工とか、3日でやめた理髪店の見習いとかまで加えると、履歴書にそれ用の紙を2〜3枚添えなくてはならなくなる。中にはネズミ講紛いの会社で空気清浄機を売り歩いていた時期もあり、包み隠さず書くのは憚られるということもある。あまりに煩わしいので転職を控えているくらいだ。

 華々しいキャリアの最初を飾ったのは、何を隠そう僧侶だ。昔から人間関係の悩みを抱えがちなタチで、とりあえず僧籍につけば偉いお坊さんが教え導いてくれるかもしれないと考えたのだ。ところが人伝に紹介された師僧はシベリア帰りの凶状持ちで、最後は殴り合い寸前の大喧嘩をやらかし、その勢いで寺を飛び出した。今思い返すと何が諍いの原因だったのか、とんと思い出せない。
 次いで葬儀屋に就職した。前職のスキルを活かせると踏んだのだけれど、初めて拝命したのは会長の運転手兼付き人という、やたらと拘束時間の長い、要職なんだか閑職なんだかよくわからない業務だった。体育会仕込みの体力と根性、元僧侶という高い(であろう)精神性を買われての人事だった。なぜか次期社長の座も夢ではないような歓待のされようで、次世代のホープと囃された。たかが運転手一人に大層な期待のかけようだと訝しく感じてはいた。これは要するに、ヤクザ映画で言うところの「このオツトメを終えたら、オメエも晴れて金バッジだな」というアレなのだと気付くまで、そう時間はかからなかった。

 この会長という人は、戦後のどさくさにまぎれて商売を興し、一代で巨万の富を築いた知る人ぞ知る立志伝中の人物だった。その割に社員に人望がなかったのは、その輝かしい業績すら疑わしく感じられるほどの、大層な難物だったからだ。まず、筋金入りの人種差別主義者であり、職業差別主義者であり、拝金主義者であり、ヒヒジジイであり、つま先から頭のてっぺんまで男尊女卑でこりかたまっている上にハゲで猫嫌いでもあり、おまけにボケ始めている兆候もあった。
 フェミニストで売っていた僕は、この会長とそりが合わなかった。何度ぶん殴って辞めてやろうかと思ったか知れない。その度にぐっと我慢し続けたのは、僕が筋金入りのヒューマニストでありストイシストであると同時に、まだ若くて右も左もわからなかったから。そして三流大学出の給料にしては破格の高待遇だったからだ。

 その代わりに、太った。ストレスからくる過食症に陥り、大学時代は空手で鳴らした僕の身体は、再就職後半年を待たずして、ミシュラン坊やのように肥大した。会長は僕をブーとかブー太郎とか呼んでは、ことあるごとに扱き下ろした。見るに見かねた上司が新たな人身御供を見つけ、僕と挿げ替えてくれなかったら、僕はあのまま際限なく膨らみ続けて、家のドアから出られなくなっていただろう。悪夢のような半年間だった。
 余談ではあるが(全編余談なのだけれど)、僕の代りを仰せつかった中途採用の人柱は、その後三月程たったある日、会長を乗せた社用車で本社地下駐車場の壁に突っ込んだ。聞いた話によると、センチュリーのフロントグリルがぐちゃぐちゃだったそうだ。何があったのか、原因がなんだったのか、事故を起こした生贄氏がその後どうなったのか、下っ端社員の僕らにはようとして知れなかった。

 その頃、僕が毎晩のように食べていたのがベトナム料理だ。住んでいたワンルームマンションの一階部分にベトナム料理店があったのだ。夜はお酒を出すタイプの店だった。特にその店だけと決めて通っていたわけではなかったのだけれど、毎晩午前様に近い時間まで働いて、職場から自宅まで歩いて帰る道すがらには、開いている店がそこと牛丼の吉野家くらいしかなかった。フォーという麺料理が好きで、必ず2〜3杯は食べていた。トッピングによってバリエーションが増えるラーメンや、うどん・蕎麦の類とは違い、メニューごとに別々のスープが用意されていて、しかもその種類が尋常ではなかった。毎晩食べても飽きなかった。
 腹一杯詰め込んで、すぐに寝るという、食べ物を眠剤の代わりにする悪癖が身についたのは、この頃だ。北京ダックの気持ちがよくわかる。これで太らないわけがない。

 葬儀屋を辞めたとき、もう二度とベトナム料理を食べることはなかろうと思った。一生分のフォーを食べたつもりでいた。トラウマになりそうな苦い記憶と直結していたから、味を思い出すのも苦痛だった。
 それから二十年だ。近所にベトナム麺の店ができたので、久々に食べてみた。麺を啜っているうちに当時の記憶が蘇ってきて、なぜかすべてが懐かしく感じられた。食べ物に罪はない。僕にだってない。巡り合わせが悪かっただけで、周りの誰にも、おそらくは会長にも非はなかったのだ。今頃どうしているだろう。当時は七十代の後半だったから、ひょっとしたらまだ存命かもしれない。調べてまで知りたいとは思わないけれど、少し気にかかった。若かったあの頃は、ひたすら耐えるしかなかったけれど、今の僕なら違う対応ができるかもしれない。もちろん、身についた世間知やら処世術が、かえって邪魔をすることもあるだろうけれど。
 
店舗情報
PHOBAC
福岡県春日市春日1丁目145

[PR]
by tigersteamer | 2013-07-10 04:39 | 食べ物一般 | Comments(0)

虎蒸気あらため河蒸気。オートバイとは無縁の生活を3年送りました。そろそろ復帰します。


by 河蒸気