
ここで「認知症」という言葉が登場したのは、それが普段仕事で聞きなれているからで、実際は「発達遅滞」ではないかと思う。これもまた、仕事柄よく耳にする言葉だ。発達遅滞は知的障害ではないし、まして認知症とは関係がない。病院で治療を施すような病気でもない。頭では理解しているつもりなのだけれど、心の奥深いところでは同じようなものだと認識しているのかもしれない。反省したからと言ってどうなるものではないけれど、少し恥ずかしく思う。
たしかにスタート地点は東京のはずだったのだけれど、実際に子供を迎えに行ったのは博多駅の筑紫口だった。見慣れた風景だったから、まず間違いはない。久しぶりに会うような気がしていたのはなぜだろう。ひょっとすると僕には離婚歴があって、子供は母親が引き取って育てているのかもしれない。
一目見た瞬間に、胸の中が熱いものでいっぱいになった。ただ、頭では自分の子供だと認識しているのだけれど、それはどう見ても僕の弟だった。実際に子供はいないのだから、記憶の中の一番近しい子供のイメージを拝借したのに違いない。小学校に上がる頃か、その少し前の姿だった。
見知らぬ女性が息子の手を引いていた。彼女が僕の妻なのか、それともただの知り合いなのかはわからない。赤の他人と言うことはなかろうと思う。あまり重要な役ではなかったらしく、それ以降登場することはなかった。
嬉しそうに僕を見上げる息子と手を繋いで、どこか知らない街を歩いた。随分楽しかったような気もするけれど、よく思い出せない。
スーツ姿の男性から、書店の倉庫のようなところに案内される場面があった。倉庫といっても、腰を曲げなければ入れないような狭いスペースだ。 裸電球に照らされた薄暗い空間で、僕の息子は遊びに没頭していた。
散らばった本はページが折れていたり、破り取られたりしていた。「子供のすることですから仕方ありませんよ」と微笑む男性に、住所を書いたメモを渡して、必ず弁償しますからと詫びた。
書架の狭い棚にもぐりこんでいた息子を抱き取ると、僕の首ったまにしがみついてきた。悪い事をしたという自覚はなさそうだった。
こんな時、実際の僕なら頭ごなしに叱りつけるかもしれない。でも、そうはしなかった。小さな体を抱きしめて、どうかこの子を救ってくださいと神様に祈った。
なにせ時間がたっているものだから、大部分は既に抜け落ちている。ただ、目の醒める寸前、僕は子供の手を握って、空一面を泳ぐ鯉のぼりの群れを見上げていた。



熊本県の杖立に、鯉のぼり祭りと言う行事がある。川の両岸から何本もロープを渡して、そこに鯉のぼりを泳がせる。 風の強い日に、全身をうねらせながら河を遡上する鯉の群れは、川底から水面を見上げているような錯覚と共に、見る者を圧倒する。
子供の両脇に手を差し入れて、頭の上に抱えあげた。短い腕をいっぱいに広げて、無邪気にはしゃいでいたような気がする。よく憶えていない。後から付け足した記憶かもしれない。ただ、僕は息子の頭越しに広がる真っ青な空を見上げながら、この上なく満ち足りた気持ちだった。たしか笑っていた筈だ。

あの時、僕が両手に感じていたぬくもりはなんだったのだろう。目が醒めた後しばらくは、体を動かすことさえできなかった。目尻がカサカサに乾いていた。どうやら泣いていたらしい。はらわたを抜き取られたような、強烈な喪失感だった。

なんとなく、近くて遠い職種のような気がします。だって、この仕事にゲソつけて十年になりますが、泊りがけのロングツーリングに出かけられるような休みを貰ったことがないんですもの。

弟は僕と八つはなれてますから、自分の子供を育てた経験こそないものの、似たような環境にあったせいかもしれません。