大食い師(激闘編)

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 用事を済ませた帰りに、鳴門うどんに寄った。ちょうど昼食時だった。900g(トリプル)までなら、300g(シングル)と同じ値段という、コストパフォーマンスを前面に打ち出した店だ。値段も安く、それでいて味は悪くない。

 実はこの店を利用するのは二度目だ。前回は、肉玉うどん(肉うどんに卵を落としたもの)のダブルとステーキ丼のセットを頼んだ。うどんは博多のものとは違ってコシが強く、太目でボリュームがあった。ステーキ丼の肉はサガリ(ハラミ)で、その名の響き程の高級感はなかった。また、丼というにはやや小さ目の、ご飯茶碗程度の器に盛られていた。特筆すべきところはないが、これも安いメニューなので仕方がない。うどんで大サービスしている分、サイドメニューで締め付けているのかもしれない。

 その日は休日で朝食が遅かったせいもあって、それほど腹が減っていたわけでもなかった。しかし、同じ値段で量を増やせるのが売りの店に入り、一番少ない物を選ぶのは馬鹿げている。思い切って、天麩羅うどんのトリプルと生姜焼き丼のセットを注文した。僕ほどの客ともなると、品書きを眺める段階で、食べきれるかどうかの心配などしない。メニューにざっと目を通して、一番量の多そうなものをオーダーし、汗一つかかずに淡々と箸を動かし、涼しげな面持ちで店を後にする。大喰らいの美学だ。
 しかし、いざ食べ始めてみると、高を括っていた割に苦戦した。ダブルに1玉加えただけのはずが、食べても食べてもなくならない。小麦粉の塊を前にして、満腹よりも先にうどん自体に飽きてしまった。こうなると、コシの良さが災いした。喉の通りが良くないのだ。これでは一気に嚥下してしまうわけにもいかない。噛み切る労力が倍以上かかる上、咀嚼回数を増やせば満腹感も早めに訪れる。

 僕は内心焦っていた。残すわけにはいかないからだ。健啖家で鳴らしたこの僕が、自分で注文した品を食べ切れなかったとあれば最大の名折れだ。プライドが許さない。
 仮に、喰いきれずに会計をするようなことになれば、残されたトレイを片付ける店員は何と思うだろう。「残すくらいなら最初っから注文するんじゃねえよ」「お前には子供用の半玉がお似合いだぜ」「残りはママに片付けてもらいな」「坊や、出口はあっちでちゅよ」隣で何気ないふりをしてテーブルを拭いている店員が、心の中で意地悪く舌を出している様子さえ、手に取るようにわかった。

 嘗められるわけにはいかない。七味唐辛子をてんこ盛りにふりかけると、一気呵成に啜りこんだ。これが僕の最後の手段だ。全神経を辛さの克服に集中させ、他の様々な感覚を麻痺させる。偏頭痛に悩まされていた時に、偶然に箪笥の角に小指をぶつけてしまい、あまりの激痛に頭痛が吹き飛んだ経験から編み出したこの技、名付けて「小指戦法」。
 青息吐息で食べ終えた時には、舌の感覚はなかった。半分ほど残した汁(全部飲まないほうが余裕があるように見えるのだ)の、底に沈んだ葱を箸で掬い上げながら、僕は思案していた。なんとか完食したのはいい。しかし、僕の苦戦を店員に気取られなかっただろうか。なりふり構わず、とても食べっぷりにまで気を配るゆとりはなかった。

 僕は煙草に火をつけた。
 一服している間に決意を新たにする。そしてそれが鈍らないうちに行動に移すのだ。やるしかない。奴等に余裕を見せつけてやれ。
「すいません、ステーキ丼を追加してください」
 背を向けて立っていた店員は、とっさにどの客の注文か判断しかねたようだった。振り返ったその目が泳いでいた。僕はわざと挙手して見せた。
「ス テ ー キ 丼 を く だ さ い」
 もう一度、ゆっくりと言った。はっきりと言葉にすることにより、揺るぎない意思を際立たせる。迷いが吹っ切れ、心が定まる。辞世の句と同じだ。
 無謀ではない。ステーキ丼のサイズは確認済みだ。ご飯ものは、オールラウンドファイターである僕の、最も得意とするジャンルだ。勝算はあった。


 長い激闘の末に、孤独な挑戦は終わった。帰路につく僕の目に涙が滲んだ。先に気付いておくべきだった。とても勝利とは言えなかった。その理由は一つ、驕りだ。
 セットメニューについてくる丼は、安価な分だけ量も少なく抑えられていたのだ。まさしくドンブリと呼ぶに相応しい単品のステーキ丼を前に、僕はなすすべもなく項垂れた。それでも小一時間あまりの時間をかけて、ようやく全てを平らげた。先に食べたのが、うどんだったのが幸いした。時間を稼ぐにつれて、僅かながら余裕が出てきた。あれが腹持ちのいいパスタだったなら、戦わずして僕の敗北は確定していたところだ。

 あの店には、近い内に必ず行くことになるだろう。僕は振り向きもせずに思った。体調を整えて、もう一度チャレンジするのだ。そして今度こそ、圧倒的な余裕を見せつけて完食する。雪辱を果たすのだ。
 こみあげる胃の内容物に、歯を食いしばって耐えた。唐辛子混じりの胃液の味は、ただ苦く、酸っぱく、文字通りの辛酸だった。
 

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by tigersteamer | 2012-05-22 22:53 | 食べ物一般 | Comments(0)

虎蒸気あらため河蒸気。オートバイとは無縁の生活を3年送りました。そろそろ復帰します。


by 河蒸気