2012年 07月 04日
五臓六腑に沁み渡る
酒飲みがよく、五臓六腑に沁みわたる、なんてことを言う。この「沁みわたる」は、「おいしい」とか「ありがたい」などという気持ちが沁みるのであって、口から入った物が各消化器官を経て全身に行き渡るという意味ではない。さらに言えば、口から入るものである必要もない。誰かの施した小さな親切が沁み渡ることだってある。
しかし、「五臓六腑」を持ち出されると、なんとなく飲食物以外には使い辛く、さらに沁みわたる速度(なんせ酒飲みは口にするや否やコレをつかうから)からいって液体が最適で、そこまでの体感を伴う飲み物はアルコールしかない。よって世間では、この言葉を飲酒の枕詞のように使う。
ただし、空腹時の蕎麦切りくらい、五臓六腑に沁みわたる食べ物はない。
まずは薬味の山葵が、干上がった口を潤す。鼻からツンと抜ける刺激が味蕾を刺激し、瞬く間に機能を回復させるので、「空腹のあまり最初の数口は何を食っていたのかわからない」などということがない。ざらざらした蕎麦の喉越しを際立たせながら共に食道を下り、最後は胃の腑に収まって、体の中心から全身を温める。
蕎麦の沁みようはアルコールのそれとニュアンスが違う。ストンと体の底に下りていって、あっという間に全身を駆け巡る酒類とは違って、いったん胃袋に収まった上でジュワ~っと溶け出す。一口一口が軽いから、幸福感が長持ちする。ざる一枚を食べ切った時点で、まだ一口目の幸せが尾を引いている。食後に蕎麦湯を飲みながら、ゆるゆると沁み始めた蕎麦のありがたさを噛みしめる。ここにきてようやく、くううっと息を漏らしつつ、「五臓六腑に沁み渡る」が口をついて出る。
ああ、蕎麦が食いたい。夜中にこんなものを書くんじゃなかった。