2023年 07月 30日
日清 featuring マルちゃん
しかし、フタを剥がし、粉末スープを麺の上にあけ、お湯を注ごうとしたところで痛恨のミス。期待が高まったせいで手がブルブル震え、盛大に粉を撒き散らしながら床に。俺のどん兵衛が! 俺のどん兵衛がああああ!
2枚目の画像は、逝ってしまったちゃんぽんスープの素の代わりに投下した、マルちゃんのワンタンとんこつ味仕様のどん兵衛。図らずも具が豪華になりましたが、まったくの別物になってしまいました。ちゃんぽんは戻ってきません。ショックがでかいです。
2023年 06月 29日
あの日食べたうどんが本当にまずかったのか、僕はまだ知らない。
20年前に食べたきつねうどんが、今僕の目の前にある。
この店が今でも営業を続けていると知って驚いた。失礼ながら、とっくの昔に閉業していると思い込んでいたからだ。
店主に20年ぶりの訪であることを告げ、店内をぐるりと見回してから、昔と変わっていませんねと言った。
なにせ昔のことだから、当時の事を克明に憶えているわけではない。よって、ここから先は所々創作を交えて書くことにする。
大学を卒業して7年続けた会社員生活に見切りをつけ、都落ち同然で福岡に帰ってきた。
帰ってきたといっても、僕の生まれは東北だ。福岡は両親の郷里であり、転勤族だった父が定年退職後の終の住処をそこに決めたというだけのことで、僕にとっては馴染みの薄い土地だった。当然ながら友人はいないし、遊ぶ場所も知らない。
思い切って仕事を辞めてはみたものの、特にやりたいことがあるわけではなかった。
とにかく疲れていた。ろくに休みも取れず、働きづくめに働いた7年間だった。
まだバブルの残り香が漂っていたせいか、給料は同世代に比べても多い方で、今のように残業代が支給されないなどと言うことはなかった。ボーナスはしっかり貰えたし、休日の買上げや細々した臨時収入まで含めて、かなりの蓄えがあった。
とりあえず骨休めがしたかった。
勤労に対するモチベーションが上がるまで、ここでのんびりしようと思った。失業保険を貰ってみるのも手かもしれない。
ぼんやりと感じていた前途への不安感をふり払うように、駅の改札を抜け、表通りに足を踏み出した。
駅前の商店街を突っ切るのが自宅への近道だった。
その頃はまだ、シャッター街と呼ぶほどではなかったが、歴史が古い分だけ老朽化した店舗が、ひしめくように軒を連ねていた。
昔は、福岡最大の繁華街である天神と同じくらい活気があったのだと聞かされていたが、とても本当の事とは思えなかった。
ところどころ破れた店のナイロン製の庇や、そこに書かれている掠れた文字、くすんだ色の外壁を見るにつけ、否応なく気分は沈んだ。
商店街の中ほどに、その店はあった。
ふと、最前からずっと苛まされていた空腹感が、いよいよ耐えがたいものに感じられた。新幹線で車内販売のビールとつまみを腹に入れたが、それ以外はほとんど何も食べていなかった。
ひもじさに背中を押されるように入り口の暖簾をくぐった。
テーブル席が2つと5人掛けのカウンター。どこにでもあるような場末の地味な店だった。
カウンターの内側には、煮干しを擬人化したような痩せぎすの親父がいて、僕が店に入ると顔だけをこちらに向けた。
いらっしゃい、とかなんとか言ったのだろう。
昼時をとうに過ぎていて、客の入りはまばらだったと思う。
カウンター席に座って、品書きに目を落とした。
メニューはうどんが中心で、丼物が何種類かあったが、とくに食指を動かされるような料理はなかった。
高校時代を神戸で、大学生活は和歌山、社会人になってからは京都で過ごした。遊ぶのはもっぱら大阪だった。
ラーメンほどではないが、うどんもかなりの数を食べていたし、いっぱしの麺通を気取ってもいた。
福岡もうどん食が盛んな土地だと聞いていた。しかし、なんと言っても本場は大阪だ。
讃岐がそうだと言う者もいるが、あっちのうどんには汁がない。出汁があるのが本当のうどんで、そうなると大阪のうどんに肩を並べるものはない。
元々が関西の生まれではないからかもしれない。当時の僕は、住んだこともない大阪に対する郷土愛を完全に拗らせていた。テレビでよく見かける大阪出身の芸能人の姿をデフォルメして、無意識に演じていた可能性はある。特に食べ物に対するこだわりが強かった。大阪は食い倒れの街だからだ。
福岡のうどんがどれだけのものか、ひとつ試してやろう。
試してやろうとは思ったが、特に味に期待はしていなかった。
ひなびた町の寂れた商店街にある、見るからに活気のないうどん屋。期待しろという方が無理がある。
きつねうどんは、ほとんど待つことなく運ばれてきた。何の変哲もない、油あげとネギだけの飾り気のないきつねうどんだった。
割り箸で挟んで持ち上げ、すぼめた口で息を吹きかけてから、一気呵成にすすった。そして激しく咽せた。
まずかったのだ。
味付けが悪いとか口に合わないとか、そんな次元ではなかった。
まず味がしなかった。微かに感じる塩気は調味料のものではなく、鰹節自体に含まれている成分ではないか。
麺も柔らかすぎた。ツルツルシコシコどころの話ではない。商売ものとは思えない食感の悪さだった。
このうどんに無理に擬音をつけるなら、グチュグチュとかムニュムニュとか、およそ食べ物とは思えない表現がぴったりだ。
このオヤジ、前の客の食い残しをそのまま出しやがったな。
そう勘ぐった。
しかし、麺はそれで説明がついても、味のしない出汁についてはそうはいかない。ふと見ると、隣の客が丼の縁に口をつけて、さも旨そうに汁をすすっていた。
あの客が食べているのとこれとは違うのか。同じ鍋から注いだではなく、別に作ったのか。何のためにそんなことをするのか。
箸を置き、代金をカウンターに叩きつけると、後ろも見ずに店を後にした。
「もう二度と来るかこんな店」聞こえよがしに吐き捨てた。
それからほどなくして、少し離れた土地に転居したこともあり、二度とその店に行くことはなかった。
だから、それっきりすっかり忘れていた。・・・と言いたいところだが、後味の悪いエピソードの常として、頭のどこかにずっと引っかかっていた。
あの日食べたうどんは、本当にまずかったのか。確かめたかったというよりは、確信があったのだ。
見た目は記憶と符合した。具は短冊に切った油あげと長ネギだけだ。
出汁は少し黄色がかっていて、丼の底が透かして見えるほど澄んでいる。香りは乏しいが、顔を近づければわかる。食欲をそそるいい匂いだ。
れんげで出汁をすくって口に含むと、やはり味つけはこの上なく薄い。そのままじっと目を閉じると、舌が少しずつ味の薄さに馴染んでいく。飲み込むと舌に、と言うよりは口の中全体に魚の風味が残った。嫌味は感じない。むしろ味わい深い。
ウルメと鯖節のブレンドだろう。割合が絶妙だ。丁寧に出汁をとっているのがわかる。素材も良い物を使っているに違いない。
麺はやはり柔らかい。
他では見ないほど薄くて幅の広い平打ち麺だ。唇で噛み切れるほど柔らかいが、芯にはちゃんと粘りがある。前歯で挟んで力を加えると、歯茎を押し返す弾力を感じた。
味付けが薄いのは出汁の良さを感じてほしいからで、油あげが別に煮込んだ甘キツネでないのもそう。出汁をしっかり吸わせてからいただく。
柔らかいうどんに絡んだ大きめのネギが、咀嚼するたびにキュッキュッと音を立てるのが楽しかった。
博多うどんは出汁がすべてだ。
しかし、ここまで極端な店は今どき珍しい。個人経営のうどん屋がバタバタと廃業しているこのご時世に、よくぞ生き残っていてくれたものだ。
どんぶりを空すると同時にため息がこぼれた。
すべて納得がいった。イロハも知らぬ東北生まれのエセ大阪人に、この味がわからないのは仕方がない。20年前の自分の憤りようを客観的に想像すると可笑しかった。
笑い声が耳に入ったのか、店主が訝しげにこちらを見た。
目を合わせ、首を傾けて合図した。箸を揃えて丼の上に置き、席を立つ。
「ごちそうさまでした」
財布から取り出した小銭をレジ横の受け皿に置きながら、心の中で呟いた。
おいしかった。やっぱり僕が間違ってました。
2023年 06月 27日
さよなら僕だけの出汁かつ丼
神埼に三心うどんという店があって、そこのオリジナルかつ丼をこよなく愛しているというのは、以前にこのブログでお伝えした通り。
ところがです・・・
たまたま入った、うどん処あずみ大刀洗本店で、見つけてしまったのです。僕が愛した出汁かつ丼とまったく同じではないけれど、わさびが添えてあるところまで同じ(そもそもこれは僕が考案したわけではないが)うどん出汁で食べるかつ丼を。
くやぢい。もう眠れそうにない。