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おもいでカフェ

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 南阿蘇村の「みそらや」は和菓子とコーヒーのお店だ。ただし軽食の類はない。人伝に評判を聞いた時にイメージしたのとは少し違っていた。阿蘇外輪山の麓にあって、長閑で静謐な空気に包まれてはいるけれど、人里離れたというほどの山奥ではなかった。

 生活音を完全に隔てていて、時の流れる速度さえ緩やかな気がする。思索に向いている。本でも読みながら、ゆっくりと寛ぐためのお店だ。日帰りツーリングの途中で立ち寄って、時間を気にしながら利用するのはもったいないかもしれない。
 庭、建物、調度品や小物、接客に至るまで、すべてにこだわりが注ぎ込まれている。手作りの和菓子は意匠と呼ぶにふさわしい。小さくて繊細で、眺めているだけで楽しくなる。南阿蘇の土産にすれば喜ばれそうだ。店主は古いBMWのオーナーだそうだけれど、表立ってそれと分かるところはない。ただし、店内をよく見渡せば、ところどころにヒントが落ちている。
 フレンチプレスのポットから、空のカップにコーヒーが注がれると、気忙しい日常の合間に紛れ込んでいた忘れがたい出来事が、濃い香りと色合いをもってじんわりと蘇ってくるような気がした。

 ぶさいく餅の婆様が亡くなったのは一昨年の夏。てっきり九十路を越えたあたりと思っていたけれど、まだ八十五だった。風呂場で滑って足の骨を折ったのが、そこから遡ること半年ほど前だそうだ。
 畑に出ずっぱりな嫁に代わって惣菜屋の店頭に立ち、丸眼鏡を押し上げながらチマチマと釣銭を数えていた。腰こそ曲がってはいるものの、声に張りがあって足腰もシャンとしていた。そんな彼女が、入院してからは坂道を転がり落ちるように体力が落ちて、ひと月も経たないうちにベッドで寝たきりの生活になったのだそうだ。百姓仕事の片手間なので切実さはないものの、町ぐるみの思いやりで永らえていたような店だから、何かのきっかけで食べられなくなる事があるかもしれないとは思っていた。しかし、こんな終わり方は予想だにしていなかった。

 ぶさいく餅のファンは、残された家族が思っていたよりもずっと多かったらしい。周囲の要望に応えるかたちで再び売り始めたものの、長男のお嫁さんが作ったのは単なる甘くない蓬餅で、婆様のものとはどこか違っていた。
「こげなことになるとなら、婆ちゃんが元気なうちに、よおと教わっとけばよかったち思います」
 材料は同じはずだとお嫁さんは言う。たしかに、見た目は同じに見える。皮の厚さも小豆の潰れ具合も記憶している通りで、一生懸命似せようと試行錯誤したあとがあった。それだけを食べるなら決して悪いできではなかった。おそらく客の求めるところが大きすぎたのだ。
 なにか手がかりになればと記憶の襞を探ってみるものの、そもそも蓬餅のレシピすら知らない僕に教えてあげられることなどない。できるのは婆様の思い出話をすることくらいだ。
 暇もないし、もう店は閉めようかと思います。お嫁さんは少し寂しそうに笑った。おばあちゃんのヨモギ餅、画用紙とボール紙で作った手書きの札が、寄る辺なく立てかけてあった。

 婆様の店も、みそらやと同じような立地だけれど、高速道路が近くを通っていて、お世辞にも静かとは言いがたかった。野菜の無人販売所に毛が生えたような荒ら家で、吹きっさらしの店の前には、丸椅子が数脚置いてあった。いつも同じ年恰好の年寄りが長居しては、婆様と世間話に花を咲かせていた。
 ちっとも甘くなくてパサパサしているくせに、コーヒーとの相性が抜群に良い。ふたつを合わせると確かに甘い、不思議なバランスでできていた。ツーリングの行きがけに4つ5つと買い込んで、景色の良い場所で食べるのが好きだった。缶コーヒーの味を何倍にも引き立ててくれた。
 しばらくは店を休みがちにしていたので、おかしいとは思っていた。再開してからも、そこに婆様の姿はなく、ぶさいく餅が店先に並ぶこともなかった。顛末を知ったのは何ヶ月も経ってからだ。

 まるで似ていないのに、なぜか懐かしい。みそらやでコーヒーを飲みながら、脳裏にありありと浮かんだのは、農道の側で陽炎のように揺らぐ婆様の店の佇まいだった。日がな一日つけっぱなしだったAMラジオの、雑音混じりの音声が聞こえたような気がした。

関連:黒死病
 
店舗情報
みそらや
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陰3978-1

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by TigerSteamer | 2015-03-25 14:49 | 食べ物一般

蕎麦湯はルチンを飲むものにあらず

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 蕎麦は好きだが、いわゆるツウではない。微妙な味の違いを読み取れるような繊細な舌は持っていない。更科と田舎蕎麦の違いくらいは見ればわかるけれど、その真ん中になると途端に曖昧になる。十割と二八の違いもおぼつかない。時々無性に食べたくなる時があって、ツーリングがてら出かけることはある。ただし、蕎麦という食べ物に品質を求めたことはない。美味しいに越したことはないけれど、どこで食べようが味に大きな差はないと思っていた。ウマいのマズいのと言ったところで、たかが蕎麦だ。

 そもそもツウが偏重する新蕎麦に興味がない。三タテだの、ツユにたっぷり浸すのは無粋だのと、なにかと食べ方に拘るのも煩く感じる。蕎麦湯も好きではない。やれルチンがどうだ、ポリフェノールがどうだと押し付けがましく勧める輩がいるけれど、そんな物の為に蕎麦を食っているわけではない。それに、あれは酷く不味い。いくら栄養価が高いからといって、とても我慢して飲むようなものとは思えない。
 うちの近所に「うどんの小麦冶」という、福岡ではわりと有名なチェーン店がある。僕はそこの蕎麦をいたく気に入っていて、仕事で帰りが遅くなった時などに度々食べていた。ある時、ふとメニューを見たら「当店の蕎麦は蕎麦粉を使用していません」という但し書きが添えてあった。なんでもアレルギー対策らしい。たまげた。蕎麦粉を使っていない蕎麦は果たして蕎麦なのかという疑問以上に、それに気付かない自分の舌に驚いた。

 そんな僕が、昨年の秋頃から蕎麦ばかり食べている。ツーリングに出向いた先で、やたらと手打ち蕎麦の看板をみかけるようになったからだ。ひょっとすると昨今の流行りなのかもしれない。
 きっかけは、紅葉も終わりかけの耶馬渓だった。小洒落れた雰囲気に惹かれて入ったその店は、蕎麦屋というよりはカフェと呼ぶに相応しく、蕎麦粉を使った軽食やケーキメニューが充実していた。入ってすぐの目立つところに、新蕎麦ありますと貼り紙がしてあった。普段なら気にも留めないのだけれど、その時は食べてみようかという気になった。この店は何が美味いという情報を仕込んでいたわけではない。蕎麦が店主のお勧めなら、それを食べるのはやぶさかでない。
 そしたら、その蕎麦が口に合わなかったのだ。いや、合う合わないの話ではなくて、あんなキテレツな物を食べたのは初めてだった。店の奥さんらしき人が「新蕎麦ですから、香りが違うでしょう」などとニコニコしながら言うのだけれど、顔を近づけてみても、それらしき匂いはしない。真っ白な麺はやたらと水っぽく、茹で過ぎじゃないかというくらい柔らかい。蕎麦猪口に半ばほど入ったツユは妙に塩気が薄くて、蕎麦をたぐり終えて蕎麦湯が出てきた頃には、底に薄っすら残るのみになっていた。仕方ないので七味唐辛子で味をつけ、一口飲んだら急にバカバカしくなった。そのまま、狸に化かされたような気分で店を後にした。

 それ以来だ、ツーリングに行く先々で蕎麦を食べるようになったのは。中には悪くないと思えるものもあったけれど、ほとんどが期待はずれだった。僕はどちらかと言えば、黒々とした田舎蕎麦が好きなのだけれど、どこも概ね白っぽくてコシがない。更科信仰とでも呼ぶべきか、白ければ白いほど質が高いとでも思っているかのようだ。
 念のため、グルメサイトでレビューを読んでから出かけるものの、それでも期待をはぐらかされることの方が多かった。コリコリした歯触りと書かれた蕎麦が実際にはテロテロだったり、シコシコのはずがフニョフニョだったり、美食家きどりのレビュアー達がまともに味わっているとは思えなかった。
 おそらく、僕の味覚にも原因があるに違いない。九州は蕎麦文化の根ざした土地ではない。うどん屋やラーメン屋は掃いて捨てるほどあるけれど、蕎麦屋の看板を掲げている店は稀だ。僕にしたところで、蕎麦よりはラーメンを口にすることの方がずっと多い。ラーメンはグルテンを含む小麦食品だから、無意識に比べていたとして、蕎麦にコシがないのは当たり前だ。脂でギトギトしたスープばかり飲んでいれば、日本蕎麦のツユはあっさりしすぎて物足りないと感じるだろう。
 
 食べれば食べるほどわからなくなった。貶すにも根拠が必要だ。今まで蕎麦の良し悪しに頓着してこなかった僕には準拠とするところがない。定年退職後のオヤジが生涯学習と実益を兼ねて始めたような店が多いのも特徴だった。趣味の域を出ていないように思うのだけれど、にわか仕込みの僕には判断がつかない。仮に口に合わないと切って捨てた蕎麦こそが上質だったとしたらどうだろう。コシの強い讃岐うどんと、柔らかいのが身上の博多うどんは、どちらが勝っているというものではない。それが蕎麦にもそっくり当てはまるとしたら。
 ツキのなさには定評のある僕のことだから、訪れる店が軒並みハズレだった可能性は捨てきれない。最後に一軒だけ。とびきり評判のいい蕎麦屋に行ってみることにした。久留米市宮の陣に「一閑人」という店がある。店主がビートルズのファンなのだそうで、勝手に捻ってイマジンとかヒマジンとか読んでしまいそうだけれど、イッカンジンが正しい。数年前にミシュランガイドに掲載された超有名店だ。もしここでダメだったら、僕の味覚は蕎麦を食うに値しないのだと諦めよう。蕎麦好きも返上しよう。これは一種の賭けだ。
 と、決意してから実際に口にするまでに2回、営業時間外と定休日に行く手を阻まれるのだけれど、マンネリもいいところなので省く。

 はたして一閑人の蕎麦は美味かった。なにせコリコリは確かにコリコリで、シコシコには顎を押し返す弾力があった。ツユは濃いめで、ドボンと浸すには辛すぎる。蕎麦の下3分の1くらいをつけるので丁度いい。粋な食べ方として話に聞いていた通りだ。しっかり水気を切ってあるから、食べ進めても薄くならないのにも驚いた。最後は蕎麦猪口の底に2センチほど残った。非常にもったいなく感じたので、なんのためらいもなく蕎麦湯で割って飲んだ。そしてこれが美味かったのだ。蕎麦湯で薄く延ばすことによって、逆にツユの粗さが際立ったりすることが多々あるのだけれど、一閑人のものは実に肌理が細かく、さらに溶け残ったワサビが良いアクセントになっていた。蕎麦湯を美味いと感じたのは生まれて初めてだ。思わずおかわりした。

 今までの僕の蕎麦観は何もかもが間違っていた。未だに良し悪しはわかりかねるけれど、誤解だらけの中にも一つだけ正しかったと断言できる事がある。蕎麦湯というのは、栄養をたっぷり含んでいるから飲むものではない。緻密な配合の元に完成したツユを残すのがもったいないから、最後の一滴まで味わうために蕎麦湯で割って飲むのだ。僕ごときが言うのはおこがましいけれど、美味い蕎麦屋の蕎麦湯は美味いのだ。
 
店舗情報
蕎麦処一閑人
福岡県久留米市宮ノ陣町五郎丸1577−7

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by TigerSteamer | 2015-03-02 05:15 | 食べ物一般

ノーミノールの花

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関連:あんぱん遥かなり

 ポケットの中で温め続けた石を陽の光にかざした時、思っていたよりもずっと美しくなくて唖然としてしまう事がある。素晴らしいアイディアだと思った。僕の頭の中にある時点では、ゴッホの「ひまわり」のようになるはずだった。
 花の部分が「カフェ食堂 Nord(ノール)」のバター入りあんぱんで、葉っぱに見立てたのが「パン工房 Nohmi(ノーミ)」の黒・白あんぱんだ。福岡を代表する2人の若きあんぱん職人による(勝手に)コラボレーションである。今さらながら、しみじみと実感した。昔から芸術的な才能は皆無なのだ。本当にもうしわけない気持ちでいっぱいだ。どう間違うと、あれがこうなるのか見当もつかない。ひょっとすると、テーブルが悪いのかも。
 

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by TigerSteamer | 2015-01-21 13:59 | 食べ物一般

意趣返し

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 カフェ・ド・パリのマスターからの厳命を帯び、書店で培倶人を探した。立ち読みではなく、必ず買うようにとの仰せだ。20代の頃はMr.バイクと、時々Goggleを購読していたけれど、いつの頃からか読まなくなった。オートバイ雑誌を買うのは数年ぶりだ。ひょっとしたら十数年ぶりかもしれない。

 この冬行きたいライダーズカフェというタイトルで特集が組んであった。ド・パリはライダーズカフェではなかったような・・・と思いつつページをめくった。
 大人の隠れリビングとは言ったものだ。意図して隠しているのだとは思えないけれど、確かに人目にはつきにくい。プロカメラマンのファインダーを通すと、見慣れた店内もどこか違って見えた。ただし、ムシリソースに限ってなら、僕の方が美味そうに撮れている自信がある。
 マスターらしい、なかなかお茶目なことが書いてあった。「本誌を見せればお代わりコーヒーを1杯サービス」してくれるんだそうだ。そもそも、コーヒーのお代わりで金を取られた覚えがない。黙っていても注いでくれる。いずれにしても、冬のツーリングライダーには、大変ありがたい気遣いだ。

 オートバイには大きな荷物を入れるスペースがない。もし、パニアケースやタンクバッグを持っていないなら、かさばる雑誌を鞄に入れて持って行く必要はない。モバイルでこのページを表示して、マスターに読ませるだけでいい。苦笑いしながら、空のカップをコーヒーで満たしてくれるだろう。
 

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by TigerSteamer | 2014-12-31 17:39 | 雑記

行きて帰りし物語

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<前回 死神ライダーを参照のこと>

 これにて”隠れ家の探索”3部作は最後になる。前回は図らずも起承転結の転にふさわしい、あっと驚くトホホな幕引きとなったわけだけれども、実は本編ではカットされた最終章の導入部分も用意されていた。

 僕が、ゆふそらの駐車場にオートバイを乗り入れた時、お店の前には真っ赤な4WDが停まっていて、ちょうど女性が2人降りてくるところだった。僕の姿を認めると、1人は店の入り口へと続く斜面を駆け上がって行き、もう1人は車の傍に残った。
 落ち葉を踏む足音以外は、物音一つしない。静寂に包まれた喬木の森と北欧風の建物、その前に佇む若い女性。どことなく現実離れしていて、童話の世界に紛れ込んだような気がした。このシチュエーションだと、僕の役どころは何だろう。一夜の宿を求める旅人だろうか。
「ひょっとして、今日はお休みですかね」
「ごめんなさい、金曜日から月曜日までが営業日なんです」
 女性は強張った笑顔を浮かべ、申し訳なさげに頭を下げた。
 その日は火曜日だった。薄暮が閉店していたショックが尾を引いているせいか、自分でも驚くくらいあっさりと諦めがついた。運が悪い時はこんなものだ。例によって事前に調べておかなかった自分が悪い。僕のツーリングには、よくあることだ。
 連れの女性が、こちらへ駆け下りてくるのが見えた。2人並んで立つと、とてもよく似ているのがわかる。姉妹なのかと思ったけれど、少し歳が離れているような気もする。母娘かもしれない。
「よかったらこれ・・・」
 娘さんと思しき女性は、手にした2つの小さな包みを僕に差し出した。

 ピンときた。エルフの焼き菓子だ。
 トールキンの『指輪物語』で、エルフの郷ロスローリエンの女主人であるガラドリエルが、旅の仲間に餞別を渡すシーンに違いない。ということは、娘さんがアルウェン(娘じゃなくて孫だっけ)で、僕がアラゴルン・・・は美化しすぎだ。ちょっと悔しいけれど適役はドワーフのギムリ(実際はオーク)あたりかもしれない。ずんぐりむっくりな体型もぴったりだし、間違っても後に夫婦になったりはしないだろうし。ただ残念ながらドワーフは馬には乗れないけれど。
「またお待ちしています」
 次の休みは紅葉見物をしに耶馬渓方面へ行くつもりだった。九州の秋は短い。のんびり構えていると見頃を逃してしまう。それでも、もう一回だけ。バックミラーで2人の姿を確認しながら、もう一度だけ足を運んでみよう思った。ラスクのお礼を言わなくてはならない。




 ガレットという料理を初めて食べた。蕎麦粉をクレープのような平たい生地にして、チーズやハムなどを包んで焼いたブルゴーニュ地方の郷土料理だそうだ。僕も世のオヤジどもの例に漏れず、このての婦女子が好みそうな食べ物をハナから馬鹿にしてかかる習性がある。きっとギムリも同意見に違いない。しかし、食わず嫌いだったと気付かされた。見た目よりもボリュームがあるし、とてもユニークで、食べていて楽しい。もっとチーズが山のように盛ってあって、コッテリした味付けだとなお良いような気もするけれど、生地が薄いから食べにくくなるだろう。品が悪くなるのも確かだ。ピザのようにクルクルっと巻いて、端からかぶりつこうと試みて失敗した。ここは上品に、ナイフとフォークで切り分けるのが無難だ。ジャムやマーマレードなどを塗って焼き菓子にすることもあるらしいけれど、残念ながら、ゆふそらのメニューには載っていなかった。
 お土産にラスクを買った。美味しいのは前回の訪問で確認済みだ。ラスクをお勧めできる店というのは珍しいかもしれない。パン屋のレジ横に並んでいる、小銭消費用のオマケ商品ではない。カリカリして香ばしいくせに、しっとりもしている。木の実が練りこんであるせいだ。そして、しっかりと甘い。

 勘定を済ませて店を出た時、デザートを食べ忘れたことに気付いた。垂れ目嬢はなんと言うだろう。笑って許してくれるだろうか。どうもそんな気はしない。食べに戻ろうかと踵を返したところで、思い直した。ガレットのバリエーションも全部試していないし、パンも手つかずだ。それに、せっかく見つけた隠れ家を無駄にするのはもったいない。3部作で終わりだと思っていた物語に、続きがあるケースもないわけではない。『ゲド戦記』の4巻が出たときは誰もが驚いた。
 時期的にオートバイで行くのは、もう難しいかもしれない。よって、次回「デザートの冒険」は来春あたりを予定している。ガラドリエル様にお会いできる日が待ち遠しい。
 
店舗情報
ゆふそら
大分県由布市湯布院町川西字山口1750ー136

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by TigerSteamer | 2014-12-19 17:26 | ツーリング飯

歓喜の歌

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 信号待ちで立ちゴケしそうなくらい腹が減っていた。急用を思い出したことにしてマスツーリングの列から離れ、この店を目指したまではよかったけれど、途中で雷を伴う豪雨に見舞われて立ち往生したものだから、着いた頃には日が暮れかけていた。朝から何も口にしていなかったせいで、低血糖を起こす寸前だった。

 以前にも一度、この店を訪れたことがあった。その時は、月に何度もない定休日に泣かされて、目当てのものを食べることができなかった。今回が再挑戦というわけだ。
 とはいえ、熱望するほど大した食べ物ではない。大分県の郷土料理で「やせうま」という。小麦粉を水で溶いて手延べにしたものを茹で、きな粉をまぶしただけの子供のおやつだ。作家の椎名誠が雑誌のコラムで、麺文化不毛の地(大分県のことだ)における唯一の隠し玉的なことを書いていたけれど、贔屓目に見ても大のおとながわざわざ食べに行くほどのものではない。
 なんでも、大昔に当地を訪れだ偉い人が、「八瀬」なる従者に「うまいものをもて」と言ったのが名前の由来なのだとか。僕はてっきり「痩せた馬」なのだと思っていた。駄洒落めいた由来よりもむしろ、老いさらばえて肋の浮いた痩せ馬の方がしっくりくる、それくらい素朴で地味な食べ物だ。

 ただし、あの日、苦行に満ちた道のりの末に僕が口にしたものを除いては。
 あれは僕の知る「やせうま」ではなかった。ひと噛みごとに活力が漲る魔法の食べ物だった。モチモチした歯ごたえが顎を伝って全身の筋肉を引き締め、きな粉の滋養が瞬く間に吸収されて血管を駆け巡る。干からびかけていた一つ一つの細胞質基質に糖分が行き渡り、瞬く間に瑞々しさを取り戻して一斉に歓喜の喘ぎ声をあげ始めるような、未だかつて経験したことのない愉悦をなんと名付けよう。止まらないのだ、天の導きに呼応するかのように体の底から溢れ出す喜びの歌が。おお友よ、このような旋律ではない。 もっと心地よいものを歌おうではないか。もっと喜びに満ち溢れるものを。

 歓喜よ、神々の麗しき精霊よ、天上楽園の乙女よ。我々は火のように酔いしれて崇高な汝の聖所に入る。汝が魔力は再び結び合わせる。時の流れが強く切り離したものを、すべての人々は兄弟となる。時の刀が切り離したものを、物乞いらは君主らの兄弟となる。汝の柔らかな翼が留まる所で一人の友の友となるという。
 大きな成功を勝ち取った者、心優しき妻を得た者は、彼の歓声に声を合わせよ。

 そうだ、地上にただ一人だけでも、心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ。そしてそれを成し得ぬ者は、この輪から泣く泣く立ち去るがよい。
 すべての存在は自然の乳房から歓喜を飲み、すべての善人もすべての悪人も薔薇の路をたどる。自然は口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を与えてくれた。快楽は虫けらのような者にも与えられ、智天使ケルビムは神の前に立つ。
 神の壮麗な計画により太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように、兄弟よ自らの道を進め。英雄のように喜ばしく勝利を目指せ。

 抱き合おう、諸人よ。
 この口づけを全世界に。
 兄弟よ、この星空の上に愛する父がおられるのだ。
 ひざまずくか、諸人よ。
 創造主を感じるか、世界よ。
 星空の上に神を求めよ。
 星の彼方に必ず神は住みたもう。
 父なる神は宣う、
 空腹こそは最高の調味料であると
 
店舗情報
甘味茶屋
大分県別府市実相寺1−4
評価(星3つ)
使った金額3,000円~4,999円

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by TigerSteamer | 2014-12-02 03:58 | 食べ物一般

秋のソナタ

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 削除したつもりはないのだけれど、なぜか消えてしまった。岩下コレクションに展示してあった「ドゥカティ アポロ」に関するネタと、大分県日田市夜明中町にあるカフェ、アウローラの「梨のパフェ」を紹介した記事だ。考えにくいことではあるけれど、ブログ更新用のアプリを手慰みにしていて操作を誤ったのかもしれない。

 前者はどうでもいいとして、後者はかなりショックだった。パフェをイングリット・バーグマン、コーヒーをハンフリー・ボガードに例えて、名画『カサブランカ』風に味付けした力作だった。梨の白とベリー系ソースの赤がまざりあって、薄桃色のカサブランカ(厳密には白以外はカサブランカではないらしい)を連想したことから、さらに捻って同名の映画を盛り込んでみた。書き上げるまでに半月ほどかかっただろうか。そういう意味では、アップロードした時点でアウローラには申し訳ないことをしたという自責の念があった。僕が念入りに書き上げた文章は長すぎて支離滅裂になるきらいがあり、敬遠されがちで誰の目にも留まらないのがお約束だからだ。だから考えようによっては消えてよかったのかもしれない。

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 まだ鬼が笑うくらい先の話には違いないけれど、あと2ヶ月ほどで今年も終わる。例年通り、秋口からこの時期にかけては何やかやと忙しくて、のんびり(何かのついでではない)ツーリングもままならなかった。だからむしろ、寒くなり始めてからが僕にとってのオートバイシーズンだ。もう梨の旬は終わりだけれど、阿蘇方面ツーリングの経由地である日田には、冬場に出回る「晩三吉」という種類がある。年内にもう一度くらいは、オートバイに乗って店を訪れたいと思っている。
 

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by TigerSteamer | 2014-10-25 16:53 | 食べ物一般

ロンドンバス コーリング sanpo

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 わざわざ探しに行ったわけではない。糸島方面に行く用事があって、オートバイで海沿いを流していたら偶然みつけた。以前、ちょっとだけ書いたお店だ。よくぞこんなに良い場所を見つけたものだと感心した。移転する前と較べたら雲泥の差だ。周りに競合する店が多いのが玉に瑕だけれど、この上ない絶好のロケーションだ。

 今度はもっと時間に余裕がある時に来よう。できれば平日がいい。二見ヶ浦-弁天橋間のサンセットロードはオートバイで走るには絶好の道なのだけれど、休日はなぜか異様なくらいマナーの悪いライダーが多い。とばしたくなる気持ちもわからないではないけれど、対向車線を走ってきたオートバイが平気でセンターを割ってくるのでヒヤヒヤする。皆さんも事故には気をつけて、セーフティライドでいきましょう。
 
店舗情報
糸島 LONDON BUS CAFE
福岡県糸島市志摩野北

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by TigerSteamer | 2014-10-19 15:17 | ツーリング

暑中御見舞い申し上げます。

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 閉まってた。そうか、世間は盆休みか。僕のはだだの代休だ。
 

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by TigerSteamer | 2014-08-13 13:15 | ツーリング

floreo(花は咲く)

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 アウローラのケヤキに花が咲き、いっせいに若葉が芽吹く頃、久しぶりに店を訪れた僕の耳に、嬉しいニュースが飛び込んできた。
 去年オープンしたこの店は、6月でちょうど1周年を迎えようとしている。その記念というわけではなかろうし、まだ暫く先の話にはなるけれど、今年の夏はパフェをメニューに加えるのだそうだ。

 初めて店を訪れた時に、アウローラにぴったりな梨を使ったスイーツについて、あれこれ夢想したことを思い出した。オープンから1年が経って、撒いた種が蕾をつけた。
 ケヤキの花の蕾は小さくて地味だ。若葉とともに花が咲くので目立たないけれど、よく見ると櫛切りにした梨の実を、精巧な細工を施したボヘミアガラスの器に盛り付けたような姿をしている。モチーフとしては梨の花も捨てがたい。花弁を模したデコレーションはどうだろう。決して甘すぎず歯切れの良い梨の果肉は、真っ白で楚々とした花びらにも通ずる。
 パフェのデザインは既に、ママさんの頭の中にあるらしい。アウローラのメニューは、どれもこれも美しい。同じ店内で手作りの雑貨も販売している、彼女のセンスの賜物だ。だからもう何の提案にもならないのだけれど、もし願いが叶うなら、こんなデザートも食べてみたい。

 どうか僕の特別なお店が、これからも陽の光をたっぷり浴びて、すくすくと枝を伸ばしますように。10年後も20年後も、夜明けとともに旅路を照らす道標でありますように。
 
店舗情報
アウローラ
大分県日田市夜明中町2297-3

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by TigerSteamer | 2014-05-20 20:00 | 食べ物一般