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Ninja H2R 〜 カワサキの遣り口

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 2014年9月、カワサキ Ninja H2Rのニュースは世界中のオートバイファンを驚愕せしめた。スーパチャージャー搭載、鋼管トレリスフレームに抱えられた998ccの直列4気筒エンジンは、オートバイ史初の300馬力を捻り出す。

 カワサキが時として、そういうことをやりたがるメーカーであることは知っている。ただ、走り屋気取りだった若かりし頃ならいざしらず、太鼓腹を抱えた中年となった現在の僕にとって、最高出力300馬力や最高時速320kmといった要素は韓流アイドルや最新のコスメ情報と同列だ。乾いた感想しかもたらさない。視力、筋力、反射神経の衰えが著しく、さらに腰痛持ちでもあり、長時間にわたる前傾姿勢に耐えられないからだ。
 とはいえ、逆の意味で関心がないわけではない。ツッコミたくてしかたがないのは、あの人型決戦兵器を彷彿とさせる凶悪な面構えと、鬼のツノのように突き出た2枚のウイングだ。実にハッタリが効いている。オートバイにウイングをつけてダウンフォースを得ようという試みは、効果は別として昔からあった。しかし、H2Rのそれはどう見てもデザインの一部であって、まともに機能するとは思えないのだ。

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 僕がそこまで懐疑的になるのは、20年以上前に2週間だけ所有していたレーサーレプリカ、ZXR250についていたアレを否応なく思い出させるからだ。具体的な数値は提示せず、「強力なダウンフォースを生み出す」と文言だけで効果があるかのように思わせる手管もそっくりだ。
 数年前には、フラッグシップモデルであるレーサーZX-10Rとエヴァンゲリオンのコラボレーションが話題になっている。今にしてみれば、H2Rの特異な形状を違和感なく溶け込ませる為の布石と考えられなくもない。ひょっとして、オートバイ離れの進んだ若者にウケそうなデザインを、ロボットアニメ的なギミックとして盛り込んだだけなのではないか。そういえば、かつて僕のハートを鷲掴みにしたアレは、アンチカワサキ派によって名付けられた「掃除機のホース」などという蔑みの他に、ガンダムに登場する敵役のモビルスーツ、ザクの口元についているダクトに喩えられることがあった。決して皮肉ではなく、男カワサキはこういった男の子心を刺激する遣り口が得意なのだ。

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by TigerSteamer | 2015-03-29 17:46 | オートバイ

おもいでカフェ

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 南阿蘇村の「みそらや」は和菓子とコーヒーのお店だ。ただし軽食の類はない。人伝に評判を聞いた時にイメージしたのとは少し違っていた。阿蘇外輪山の麓にあって、長閑で静謐な空気に包まれてはいるけれど、人里離れたというほどの山奥ではなかった。

 生活音を完全に隔てていて、時の流れる速度さえ緩やかな気がする。思索に向いている。本でも読みながら、ゆっくりと寛ぐためのお店だ。日帰りツーリングの途中で立ち寄って、時間を気にしながら利用するのはもったいないかもしれない。
 庭、建物、調度品や小物、接客に至るまで、すべてにこだわりが注ぎ込まれている。手作りの和菓子は意匠と呼ぶにふさわしい。小さくて繊細で、眺めているだけで楽しくなる。南阿蘇の土産にすれば喜ばれそうだ。店主は古いBMWのオーナーだそうだけれど、表立ってそれと分かるところはない。ただし、店内をよく見渡せば、ところどころにヒントが落ちている。
 フレンチプレスのポットから、空のカップにコーヒーが注がれると、気忙しい日常の合間に紛れ込んでいた忘れがたい出来事が、濃い香りと色合いをもってじんわりと蘇ってくるような気がした。

 ぶさいく餅の婆様が亡くなったのは一昨年の夏。てっきり九十路を越えたあたりと思っていたけれど、まだ八十五だった。風呂場で滑って足の骨を折ったのが、そこから遡ること半年ほど前だそうだ。
 畑に出ずっぱりな嫁に代わって惣菜屋の店頭に立ち、丸眼鏡を押し上げながらチマチマと釣銭を数えていた。腰こそ曲がってはいるものの、声に張りがあって足腰もシャンとしていた。そんな彼女が、入院してからは坂道を転がり落ちるように体力が落ちて、ひと月も経たないうちにベッドで寝たきりの生活になったのだそうだ。百姓仕事の片手間なので切実さはないものの、町ぐるみの思いやりで永らえていたような店だから、何かのきっかけで食べられなくなる事があるかもしれないとは思っていた。しかし、こんな終わり方は予想だにしていなかった。

 ぶさいく餅のファンは、残された家族が思っていたよりもずっと多かったらしい。周囲の要望に応えるかたちで再び売り始めたものの、長男のお嫁さんが作ったのは単なる甘くない蓬餅で、婆様のものとはどこか違っていた。
「こげなことになるとなら、婆ちゃんが元気なうちに、よおと教わっとけばよかったち思います」
 材料は同じはずだとお嫁さんは言う。たしかに、見た目は同じに見える。皮の厚さも小豆の潰れ具合も記憶している通りで、一生懸命似せようと試行錯誤したあとがあった。それだけを食べるなら決して悪いできではなかった。おそらく客の求めるところが大きすぎたのだ。
 なにか手がかりになればと記憶の襞を探ってみるものの、そもそも蓬餅のレシピすら知らない僕に教えてあげられることなどない。できるのは婆様の思い出話をすることくらいだ。
 暇もないし、もう店は閉めようかと思います。お嫁さんは少し寂しそうに笑った。おばあちゃんのヨモギ餅、画用紙とボール紙で作った手書きの札が、寄る辺なく立てかけてあった。

 婆様の店も、みそらやと同じような立地だけれど、高速道路が近くを通っていて、お世辞にも静かとは言いがたかった。野菜の無人販売所に毛が生えたような荒ら家で、吹きっさらしの店の前には、丸椅子が数脚置いてあった。いつも同じ年恰好の年寄りが長居しては、婆様と世間話に花を咲かせていた。
 ちっとも甘くなくてパサパサしているくせに、コーヒーとの相性が抜群に良い。ふたつを合わせると確かに甘い、不思議なバランスでできていた。ツーリングの行きがけに4つ5つと買い込んで、景色の良い場所で食べるのが好きだった。缶コーヒーの味を何倍にも引き立ててくれた。
 しばらくは店を休みがちにしていたので、おかしいとは思っていた。再開してからも、そこに婆様の姿はなく、ぶさいく餅が店先に並ぶこともなかった。顛末を知ったのは何ヶ月も経ってからだ。

 まるで似ていないのに、なぜか懐かしい。みそらやでコーヒーを飲みながら、脳裏にありありと浮かんだのは、農道の側で陽炎のように揺らぐ婆様の店の佇まいだった。日がな一日つけっぱなしだったAMラジオの、雑音混じりの音声が聞こえたような気がした。

関連:黒死病
 
店舗情報
みそらや
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陰3978-1

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by TigerSteamer | 2015-03-25 14:49 | 食べ物一般

惜念の春

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 桜の花が咲き乱れ、すっかり暖かくなってしまった今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 さて、当ブログでは昨年末より、厳寒のもとでマックスフリッツ製ウォームパンツのレビューをしたためるべく、苛酷なダイエットに取り組んできました。最近は効果も着々と現れ始め、眩暈や嘔吐感を伴わずに履くことができる域にまで達していました。しかし、あと少しが及ばず、今後は寒の戻りにも期待できないことから、今季の実戦投入は不可能であると判断しました。ウォームパンツは来年の冬に向けて一旦お蔵入りし、思いも新たに春からの食欲シーズンに備え、胃腸のウォームアップに専念したいと思います。僕のダイエットを応援して下さった皆様には心からお詫びします。マックスフリッツが、もうワンサイズ大きなパンツを作ってくれたら良かったのですが、こればかりはどうにもなりません。

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 忸怩たる気持ちを吹っ切って、南阿蘇の「みそらやcafe」でこのブログを書いています。甘い物とコーヒーの組み合わせって本当に素晴らしいですね。
 

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by TigerSteamer | 2015-03-24 14:00 | 雑記

Ninja H2R 〜 ウイングの秘密

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「羽をつけたら絶対目立つと思うんすよ。先輩、どっかから社外パーツが出てないっすかね」
 そう言い出したのはT君だ。チームのマスコット的なキャラクターで、ど派手なドレスアップを施したTZR250に乗っていた。僕より2つ歳下の大学1年生、県外にある大きな寺の跡取りだった。坊主の息子はお経さえ唱えられればいいという大らかな教育方針のもと、天真爛漫に育った彼の口からは、ときどき周りが対処に困るような発言が飛び出した。
「そもそも、なんでバイクには羽が付いてないんですかね」

 なにせ20年以上昔の話だ。その時なんと返答したのか、残念ながら憶えてはいない。「空を飛ばないからだろ」とかなんとか、今の僕なら答えるだろう。
「ほら、F-1マシンには付いてるじゃないですか、ダウンフォースを稼ぐために。なんでバイクにはアレがないんですかね」
 羽というのはスポイラーのことか。ようやく合点がいった。そう言われればそうだ。待てよ、ウイング付きのオートバイってなかったっけ。あったような気がする。確実なのは仮面ライダーV3のハリケーンだけれど、あれは空想の産物だし空を飛ぶための羽だったような・・・。

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 当時の愛車、VFR400Rのアッパーカウルとサイドカウルの繋ぎ目あたりから、短いウイングが真横に突き出している姿をイメージしてみた。なんと言うか、実にかっこわるい。それにコケたら確実に折れるだろう。周りのパーツまで巻き込んで派手に逝きそうだ。考えるだけで恐ろしい。修理代が幾らかかるか知れない。

 当時の僕は大学生だった。年がら年中金がなかったのは、真面目に勉学に勤しんでいる苦学生だったからではない。昼間はオートバイ、夕方からは部活動、そして夜は麻雀に精を出す不良学生だった。仕送りとアルバイト代のほとんどは、ガソリン代と修理代、麻雀の負け分の清算に消えていった。
 同じ大学のオートバイ好きを集めて、レーシングチームを結成していた。革ツナギの上に揃いのトレーナーを着て、講義はそっちのけで峠に通い、鈴鹿の4時間耐久レースに憧れ、バリマシの俺ハで赤ゼッケンを取ることが目標で、ノリックとバリバリ伝説にかぶれていた。

「アホやな、おまえ」
 それまで黙って耳を傾けていたS君が、ほとほと度しがたいといった顔つきで言った。
「なんでバイクにはウイングがついてないか、そらつけても無駄やからや。ちょっと考えたらわかることやんけ。どこのメーカーもやってないってことは、やっても意味がないってことや」
 頷けるような頷けないような。しかし確かに道理ではある。
「直線だけやったらええけど、問題はコーナーや。バイクを寝かせているときは、イン側とアウト側では全然違う風が流れてんねんで。要するに下から上へ押し戻す力と、上から下へねじ伏せる力のバランスがとれとんねん。そんなとこにウイングなんかつけてみ、気流が乱れてコーナリングが不安定になるだけやで」
 突き放すように言い切ると、どうだ参ったかと言わんばかりに小鼻をうごめかせた。

 身振り手振りを交えながら講釈を垂れる彼は、理系の大学で流体力学を学ぶ学生などではない。僕らと同じど田舎のFランク大学生だ。誰も反論できなかったのは、もっともらしい理屈に納得したからではなく、説を覆すほどの知識を持ち合わせていないせいだ。加えて、僕らのチームでは唯一の限定解除ライダーであり、彼の駆るSRX-6が近隣の峠では最速と目されていたからでもある。既に一滑一留(いちスベいちダブ)のチーム最年長で、僕に輪をかけて金がなく、看護婦フェチのAVマニアで素人童貞で、口ばかり達者な捻くれ者だったけれど、コーナーを攻めている時のキチガイじみた速さだけは誰もが認めていた。他県ナンバーのRX-7を崖の下に追い落とした逸話が、十割増しでまことしやかに囁かれていた。外の世界ではまったく通用しないけれど、少なくとも僕らの間では、オートバイを速く走らせることができる者が一番偉かったのだ。

 その場には他にNSR250RのN君と、RGV250Γのガンちゃんもいたはずだけれど、彼らがなんと言ったかは記憶にない。その後もひとしきり議論は続いて、しりつぼみ気味に途切れた。算数が苦手という理由で私立文系を選んだバカ学生達には、どんなに頭を捻ったところで納得のいく答など見つからなかった。「どこのメーカーもやっていないということは、やっても意味がないということだ」という穿った理屈だけが、なにやら金言のごとく刷り込まれた。
 ちなみにその数日後、TZR250のシングルシートカウルには、できそこないの鳥居のような形をしたリアウイングが取り付けられていた。得意満面のT君を前に、誰もが「そっちかよ」とつっこんだ。アルミで作った羽は確かに目立ったけれど、走っている最中に根元からもげて、どこかに飛んでいったっきり2度と見つからなかった。
 

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by TigerSteamer | 2015-03-15 00:00 | オートバイ

Save the Galapagos Head Project 発動

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<前回 犬に芸を仕込む迷惑な客

 そんなわけで先日、メガネ21久留米店へ行ってきた。ちょいと間が空いてしまったのは、ここのところ満足に休めないくらい忙しかったのと、懐具合が心許なかったせいだ。
 ワン太の言うには、ぜひもう一度店に来て、僕の提案するヘルメットマウント型のメガネについて詳しく話して欲しいとのこと。こちらから申し出たことだし、本当なら勇んで向かうべきところなのだけれど、億劫に感じるところもあって、つい二の足を踏んでしまった。「作ってください」と頼んだところで、「はい、わかりました」と言うわけにはいかないことくらいわかっている。話を聞くのは建前で、既存商品のセールストークが待っているに違いない。そこでどうせなら、これを機に以前から狙っていた、Fit-Slim Z曲げというモデルを購入しようと思ったのだ。

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 Fit-Slim Z曲げは、メガネ21がフルフェイスヘルメット用メガネとして売り出す4種類のうちの1つで、ツルの形を自由に変えることができる優れものだ。ツルをまっすぐ伸ばせるので、ヘルメットを装着した状態でも帽体とこめかみの間に差し込みやすい。ただし、僕が普段使っているヘルメットは、前面を上に跳ね上げることができるシステムヘルメットと呼ばれるタイプで、頭部全体を覆うフルフェイスタイプではない。顔に当たる部分が解放されているジェットタイプとのハイブリッド的な位置付けで、フルフェイスに比べれば安全面では劣るけれど、メガネをかけたまま装着することができるという利点がある。だから厳密に言えば、差し込みやすさを主眼としたフルフェイス用のメガネは必要ないのだけれど、Z曲げだと頭の鉢の輪郭にツルを沿わせることができるので、6種類の中では一番相性が良さそうだと感じたのだ。

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 構えて行ったにも関わらず、新製品に関するセールストークはなかった。意外にも、いきなり打ち合わせから始まった。どうやら本気で、ヘルメットに取り付けるメガネを作ってくれるつもりらしい。僕は眼鏡屋という仕事をよく知らないのだけれど、普通こんなことまでしてくれるものだろうか。ひょっとするとメガネ21ならではなのかもしれない。なんだか上手くノセられているような気がする。スムーズに事が進みすぎて気色が悪い。

 久留米店の店長さんは僕のブログを読んでくれたようだけれど、おさらいのつもりで順を追って説明した。
 メガネをヘルメットに取り付けることによって、①フルフェイスヘルメット脱着時に掛け外しの手間を省くことができる。②ヒンジやツルに無理な力を加えなくて済む。これが最大のメリットだ。また、通常は耳と鼻の3点で支えるレンズを、頭部全体でキープすることにより、③走行中のズリ落ちを防止することが可能だ。顔の幅に合わせる必要がないので、④レンズの横幅を広くできる。メガネは凸レンズなので、大きなものを作ろうとすると中央の厚みが増し、その分重さが増す。ヘルメットに固定し、普段使いと共用しないことで、重量はある程度無視できるようになるわけだ。そしてレンズが大きくなれば、⑤視界全体をカバーできるようになる。オートバイの運転中は、ただでさえ左右の視界が狭まる傾向にある。つまりは視認性の向上にもつながる。

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 いいところばかりを羅列したけれど、おそらく簡単にはいかないだろう。当然ながら、ちょっと考えただけで幾つもデメリットが浮かぶし、頭の中だけで組み立てていたことなので、実際に作るとなると構造的な欠陥も出てくるに違いない。それに道路交通法も無視できない。メガネというのは頭部に装着するもので、ヘルメットに固定することが許されるかどうかについては定かでない。安全性、機能性の面では何ら問題なかったとしても、それが即ちルールをクリアしたことにはならない。こういった矛盾はずっと昔からあって、ことあるごとにライダーを悩ませてきた。ある意味、法律とはそういうものだとも言える。

 ああでもない、こうでもないと話し合いながら、気が付くと1時間以上が経過していた。とりあえず今回はここまで、日を改めフルフェイスヘルメットを持って再訪することになった。一応は前に使っていたのがあるのだけれど、長年酷使してきた物なので、ちょっとくたびれ過ぎている。後ろ髪を引かれるような気分ではあるけれど、Fit-Slim Z曲げの資金はフルフェイスの購入にあてることにした。
 最初の記事を書いたのが2年前だ。そう思うと、なにやら感慨深いものがある。今ここに、異形の頭部をもったライダーたちを救済するべく、「ガラパゴス頭を救えプロジェクト」がスタートした。鬼と出るか蛇と出るか、次回を乞うご期待だ。

関連:ヘルメット用メガネ
 

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by TigerSteamer | 2015-03-09 00:30 | オートバイ

蕎麦湯はルチンを飲むものにあらず

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 蕎麦は好きだが、いわゆるツウではない。微妙な味の違いを読み取れるような繊細な舌は持っていない。更科と田舎蕎麦の違いくらいは見ればわかるけれど、その真ん中になると途端に曖昧になる。十割と二八の違いもおぼつかない。時々無性に食べたくなる時があって、ツーリングがてら出かけることはある。ただし、蕎麦という食べ物に品質を求めたことはない。美味しいに越したことはないけれど、どこで食べようが味に大きな差はないと思っていた。ウマいのマズいのと言ったところで、たかが蕎麦だ。

 そもそもツウが偏重する新蕎麦に興味がない。三タテだの、ツユにたっぷり浸すのは無粋だのと、なにかと食べ方に拘るのも煩く感じる。蕎麦湯も好きではない。やれルチンがどうだ、ポリフェノールがどうだと押し付けがましく勧める輩がいるけれど、そんな物の為に蕎麦を食っているわけではない。それに、あれは酷く不味い。いくら栄養価が高いからといって、とても我慢して飲むようなものとは思えない。
 うちの近所に「うどんの小麦冶」という、福岡ではわりと有名なチェーン店がある。僕はそこの蕎麦をいたく気に入っていて、仕事で帰りが遅くなった時などに度々食べていた。ある時、ふとメニューを見たら「当店の蕎麦は蕎麦粉を使用していません」という但し書きが添えてあった。なんでもアレルギー対策らしい。たまげた。蕎麦粉を使っていない蕎麦は果たして蕎麦なのかという疑問以上に、それに気付かない自分の舌に驚いた。

 そんな僕が、昨年の秋頃から蕎麦ばかり食べている。ツーリングに出向いた先で、やたらと手打ち蕎麦の看板をみかけるようになったからだ。ひょっとすると昨今の流行りなのかもしれない。
 きっかけは、紅葉も終わりかけの耶馬渓だった。小洒落れた雰囲気に惹かれて入ったその店は、蕎麦屋というよりはカフェと呼ぶに相応しく、蕎麦粉を使った軽食やケーキメニューが充実していた。入ってすぐの目立つところに、新蕎麦ありますと貼り紙がしてあった。普段なら気にも留めないのだけれど、その時は食べてみようかという気になった。この店は何が美味いという情報を仕込んでいたわけではない。蕎麦が店主のお勧めなら、それを食べるのはやぶさかでない。
 そしたら、その蕎麦が口に合わなかったのだ。いや、合う合わないの話ではなくて、あんなキテレツな物を食べたのは初めてだった。店の奥さんらしき人が「新蕎麦ですから、香りが違うでしょう」などとニコニコしながら言うのだけれど、顔を近づけてみても、それらしき匂いはしない。真っ白な麺はやたらと水っぽく、茹で過ぎじゃないかというくらい柔らかい。蕎麦猪口に半ばほど入ったツユは妙に塩気が薄くて、蕎麦をたぐり終えて蕎麦湯が出てきた頃には、底に薄っすら残るのみになっていた。仕方ないので七味唐辛子で味をつけ、一口飲んだら急にバカバカしくなった。そのまま、狸に化かされたような気分で店を後にした。

 それ以来だ、ツーリングに行く先々で蕎麦を食べるようになったのは。中には悪くないと思えるものもあったけれど、ほとんどが期待はずれだった。僕はどちらかと言えば、黒々とした田舎蕎麦が好きなのだけれど、どこも概ね白っぽくてコシがない。更科信仰とでも呼ぶべきか、白ければ白いほど質が高いとでも思っているかのようだ。
 念のため、グルメサイトでレビューを読んでから出かけるものの、それでも期待をはぐらかされることの方が多かった。コリコリした歯触りと書かれた蕎麦が実際にはテロテロだったり、シコシコのはずがフニョフニョだったり、美食家きどりのレビュアー達がまともに味わっているとは思えなかった。
 おそらく、僕の味覚にも原因があるに違いない。九州は蕎麦文化の根ざした土地ではない。うどん屋やラーメン屋は掃いて捨てるほどあるけれど、蕎麦屋の看板を掲げている店は稀だ。僕にしたところで、蕎麦よりはラーメンを口にすることの方がずっと多い。ラーメンはグルテンを含む小麦食品だから、無意識に比べていたとして、蕎麦にコシがないのは当たり前だ。脂でギトギトしたスープばかり飲んでいれば、日本蕎麦のツユはあっさりしすぎて物足りないと感じるだろう。
 
 食べれば食べるほどわからなくなった。貶すにも根拠が必要だ。今まで蕎麦の良し悪しに頓着してこなかった僕には準拠とするところがない。定年退職後のオヤジが生涯学習と実益を兼ねて始めたような店が多いのも特徴だった。趣味の域を出ていないように思うのだけれど、にわか仕込みの僕には判断がつかない。仮に口に合わないと切って捨てた蕎麦こそが上質だったとしたらどうだろう。コシの強い讃岐うどんと、柔らかいのが身上の博多うどんは、どちらが勝っているというものではない。それが蕎麦にもそっくり当てはまるとしたら。
 ツキのなさには定評のある僕のことだから、訪れる店が軒並みハズレだった可能性は捨てきれない。最後に一軒だけ。とびきり評判のいい蕎麦屋に行ってみることにした。久留米市宮の陣に「一閑人」という店がある。店主がビートルズのファンなのだそうで、勝手に捻ってイマジンとかヒマジンとか読んでしまいそうだけれど、イッカンジンが正しい。数年前にミシュランガイドに掲載された超有名店だ。もしここでダメだったら、僕の味覚は蕎麦を食うに値しないのだと諦めよう。蕎麦好きも返上しよう。これは一種の賭けだ。
 と、決意してから実際に口にするまでに2回、営業時間外と定休日に行く手を阻まれるのだけれど、マンネリもいいところなので省く。

 はたして一閑人の蕎麦は美味かった。なにせコリコリは確かにコリコリで、シコシコには顎を押し返す弾力があった。ツユは濃いめで、ドボンと浸すには辛すぎる。蕎麦の下3分の1くらいをつけるので丁度いい。粋な食べ方として話に聞いていた通りだ。しっかり水気を切ってあるから、食べ進めても薄くならないのにも驚いた。最後は蕎麦猪口の底に2センチほど残った。非常にもったいなく感じたので、なんのためらいもなく蕎麦湯で割って飲んだ。そしてこれが美味かったのだ。蕎麦湯で薄く延ばすことによって、逆にツユの粗さが際立ったりすることが多々あるのだけれど、一閑人のものは実に肌理が細かく、さらに溶け残ったワサビが良いアクセントになっていた。蕎麦湯を美味いと感じたのは生まれて初めてだ。思わずおかわりした。

 今までの僕の蕎麦観は何もかもが間違っていた。未だに良し悪しはわかりかねるけれど、誤解だらけの中にも一つだけ正しかったと断言できる事がある。蕎麦湯というのは、栄養をたっぷり含んでいるから飲むものではない。緻密な配合の元に完成したツユを残すのがもったいないから、最後の一滴まで味わうために蕎麦湯で割って飲むのだ。僕ごときが言うのはおこがましいけれど、美味い蕎麦屋の蕎麦湯は美味いのだ。
 
店舗情報
蕎麦処一閑人
福岡県久留米市宮ノ陣町五郎丸1577−7

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by TigerSteamer | 2015-03-02 05:15 | 食べ物一般