<   2014年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

NM4 〜 あの頃の未来

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 半月ほど前、バイク7の駐車場にて。
 ヤマハのマジェスティが発表されたのは、僕が大学3年か4年の時だったと思う。ニューモデルのカタログが載ったオートバイ雑誌を握りしめて、「金田のバイクみたいなのがでた!」とオートバイ仲間宅に駆け込み、「でっかい原チャやん」と笑われたことがあった。ビッグスクーターとしては既にホンダのフュージョンが出回っていたけれど、当時は純然たるオヤジの乗り物(オートバイとすら思われていなかった)と認識されていて、若者は見向きもしなかった。アニメの世界から飛び出したようなオートバイ(必ずしも共感が得られるとは限らないけれど)、マジェスティは僕にとって、それほど斬新なカタチだった。
 グラビアページを舐めるように眺めながら、頭の中で縦にしたり横にしたり、思うがままに走らせた。耳にこだましていたのはシングルの鼓動ではなく、火花を散らしながら回転する甲高いモーター音だった。近い将来、このスタイルがオートバイのスタンダードになるのではないかと、胸を熱くした憶えがある。

 結果として、必ずしもそうはならなかったわけだけれど、あの頃の未来はまさしく僕の目の前にある。スクリーン両脇に配置されているのは小物入れであって、ミサイルランチャーや高出力レーザーではないこと、動力を未だ化石燃料に頼っていることは予想外だけれども。
 

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by TigerSteamer | 2014-11-26 12:23 | オートバイ

死神ライダー

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<前回 隠れ家の探索を参照のこと>

 ネタブロガーとか、もうそんなレベルで済まされる問題ではなかった。リベンジの文字が頭の中から消し飛んだ。開いた口がふさがらない。ひょっとして僕は死神なのではないだろうか。映画『エンゼルハート』のミッキー・ロークばりに、土砂降りの雨の中を駆け出したい衝動にかられた。

 呆然とすることしばし・・・ふと我に帰った。
 今日の目的は「COFFEE 薄暮」だけではないのだ。前回、隠れ家探しに協力してくれたタレ目嬢のリクエストに応えるべく、もう一軒の森の中のカフェ「ゆふそら」を偵察しなくてはならない。看板料理の蕎麦とガレットを食べてレポートを提出するのだ。

 目の前の惨劇を頭の中から追いやり、気を取り直してオートバイをスタートさせた。「ゆふそら」は目と鼻の先だ。
 そしてその5分後、僕の見たものとは・・・


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<次回 行きて帰りし物語に続く>
 
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by TigerSteamer | 2014-11-18 18:38 | ツーリング

ツーリング途中の密かなゲーム

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 オートバイライフにささやかな彩りを添えていた、僕のお気に入りのツーリングスポットが、またひとつ消えた。先月末くらいから人の気配が途絶えていたので、なんとなく気にしてはいたのだけれど、こんなに急だとは思わなかった。恥ずかしいのを我慢して写真の一枚も撮っておいたらよかった。

 ツーリングスポットと言っても、名所旧跡の類ではない。うまい飯屋や雰囲気のいいカフェでもない。交通量の少ないワインディングでも、見晴らしのいい休憩地点でも、ライダーの集まる溜まり場でもない。一見してオートバイとは何の関係もない、ごくごく普通の不動産屋だ。片側1車線の名もない道路沿いで、せせこましい交差点の角に建っている。道路を挟んで向かい側にはラーメン屋があり、隣は消費者金融の無人契約機、斜向かいは確か酒屋だったのだけれど、半年ほど前に取り壊されて、今は更地になっている。そんなところも含めて、ありきたりな街角の、ありきたりな不動産屋だ。
 今風の白くて清潔感のある店構えで、入り口の自動ドアがマジックミラーになっていた。信号待ちの合間にふと横を見ると、ちょうどライダーとオートバイがスッポリと収まって、なにやら非常に見栄えが良く映る。距離といい構図といい過不足なしで、オートバイ雑誌のグラビアページを飾っているような気分になるのだ。

 もちろん、自動ドアの向こうには受付のカウンターがあるのにちがいない。ひょっとしたら若い女性の事務員が座っていて、仕事の合間に往来を眺めていたりするかもしれない。内側からは丸見えなわけだから、間違っても冒頭の画像のようなポーズをとったりはしない。横目でチラチラ見る程度だ。それだって気付かれていないとは限らないから、十分に恥ずかしい。しかし、視線を向けないようにしていても、不思議と吸い寄せられるように見てしまうのだ。
 最近は開き直って、ゲーム感覚で楽しんでいた。信号が赤になる間隔にあわせて、何十メートルも手前から速度を調節する。後続車がいる場合は特に難しい。ドアの前に陣取るためには、信号待ちの列の先頭におらねばならないから、条件はさらにシビアになる。ここぞというタイミングでブレーキをかけ、チラリと横を見る。よし、どんぴしゃ! ツーリングの行きがけに、1度だけプレイできるゲームだ。

 そんな話をSNSで披露したところ、驚いたことに大多数のライダーの同意を得られなかった。中には「キモい」と言い捨てる者もいた。考えてみれば、たしかに気色が悪い。物心ついた頃には既に、鏡に映った自分のブサイク加減に絶望していたから、ナルシストのケはないはずだ。デカイなりしたオッサンが、子供じみた遊びに一喜一憂しているのも、側から見ればみっともない。なぜかオートバイに跨っている時に限って大人気なく、自意識過剰になるのだ。
 くどくどと書いたけれど、大して残念だとも思っていない。狭いわりに交通量が多いし、使ったところで近道になるわけではないし、もうあの店の前を通ることはないだろう。そう考えると少し寂しい気はする。
 

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by TigerSteamer | 2014-11-17 03:14 | ツーリング

ウィルバース短感

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 男心をくすぐるのはチラリズムだ。見えそうで見えない、チラッと見えたか見えないか、見えたような気がしたけれど、スカートの裏地じゃないかと言われると確信は持てない。でもなんとなく得したような気分で胸が高鳴る。それがチラリズムだ。その点でいうとBMW-GSのリアショックは、あけすけすぎて趣に欠ける。スカートが短すぎる。どの角度からでも丸見えだ。駅の階段を登る時も鞄でガードしたりしない。その上、ゴールドである。これがいわゆる見せパンというやつに違いない。ショーツではなくて水着なのかも。たしかにセクシーではあるけれど興奮はしない。あざと過ぎて逆に萎えてしまう。

 その点を言えば、ウィルバースのパンツは青と白のストライプ(だけではないけれど)だ。しまパンである。色気には欠けるけれど、飾り気がなく無防備で、内側から溢れる健康美を内包している。はちきれそうだ。例えはちきれる寸前まで張り詰めていても、ストライプなら柄が歪まない。タイヤハウスからチラッと覗く青と白のしまパン。チラリズムがセクシーという軛から解放され、まぶしい輝きをもって中年男性の暗く淀んだ心を浄化する一瞬だ。いかなる劣情も寄せ付けない鉄壁のノーガード。泥棒のいない世界では、鍵をかけるという概念が生まれないほどに健全なのである。

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 残念なのは、このピチピチと弾けんばかりの魅力的なパンツを履いているのが、他ならぬ僕の老タイガーだということ。この愛想の欠片もない喪服カラーのオートバイときたら、どの角度から眺めてもチラリと見えるスキがない。むりやり隙間から覗き込んで暗闇に目を凝らせば、奥まったところに薄ぼんやりと見えないことはない。もちろん真下から見上げたり、鏡を用いれば一目瞭然だけれど、そこまでやると犯罪者である。
 事前から少しスカートが長すぎるかな、という気はしていた。しかし実際は、スカートのような形のキュロットだったらしい。ドレスアップパーツとしての効果はない。そこまでは読めなかった。まことにもって残念だ。
 

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by TigerSteamer | 2014-11-14 21:18 | オートバイ

隠れ家の探索

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 何度も書いているのでご存知の方もおられよう。何を隠そう、僕はアンチGS派だ。BMW-GSに乗っておられる方には何の恨みもないし、普段はそれほど意識しないのだけれど、何かの弾みで対抗意識が燃え上がる。理由を考えるに、僕の給料では手が届きそうもない値段をやっかんで、というヒガミ根性に多少なりとも根ざしているのは確かだ。あとは、TriumphとBMWのしがらみに、ないしはTiger750TrailとR80GSから連綿と続く因縁に影響されて、というのもあるかもしれない。しかし、つまるところ最大の理由は、かつての恋仇がGS乗りだったからだ。いま思い返すに完全な横恋慕であり、ただでさえモテない僕に勝ち目はなかったから、一人相撲にもほどがあるのだけれど。

 今回のツーリングは、僕がブックマークしているGS乗りのブログから始まった。書いているのはオートバイとカメラが趣味の男性だ。四季折々の阿蘇を捉えた美しい画像が特徴で、忙しくてツーリングに出かける暇がない時など、一服の清涼剤として愛読している。また、彼の食道楽には並ならないものがあり、同じくツーリング先での買い食いを趣味とする僕の、貴重な情報源にもなっている。
 そのGS氏のブログに、やまなみハイウェイを走った記事が掲載されていた。やまなみ〜は、大分県道・熊本県道11号別府一の宮線の通称だ。阿蘇と由布岳に抱かれた風光明媚なコースで、気忙しく切り返す必要がない、景色を楽しみながら走るには絶好の道として知られている。僕もよく使うので、そこまでなら何も問題はない。ただ、GS氏はツーリングの最後に、とあるカフェへ立ち寄っていた。

 実はその少し前に、そのGS氏とブログのコメント欄で、カフェに関するやりとりをしていた。「阿蘇のカフェは数ばかり多くて、どこに入るべきか迷ってしまう。オススメの店があったら教えて欲しい」といった内容だ。その依頼に対するコメントはなく、代わりに件の記事がアップロードされた。流れとして、それが彼からの回答なのだと解釈したのだけれど、「隠れ家カフェ」とあるだけで、場所はおろか店の名前さえも書いてなかった。
 あとはご想像の通りだ。むくむくと対抗心が鎌首をもたげ、これをGS氏からの挑戦状だと見なした。ヒントはくれてやったから、最後は自分で探せと言いたいわけだ。よかろう、なかなか面白い趣向だ。みごと探し当てて鼻をあかせてやろう。思えばこのアンチGS気質のせいで、これまでにも数かぎりないトホホを経験してきたのだけれど、今回もまた燃え上がってしまったのだから仕方がない。

 そうと決まれば情報収集だ。ネットで検索しようにも材料が乏しいので、近辺在住の知人を頼ることにした。もう何年も会っていない相手だから、何事かと思われるかもしれないけれど、他には心当たりがないのだから仕方がない。かつては同じツーリングクラブに所属していた女性だ。思うところがあって僕がクラブを抜けた後は疎遠になっているけれど、SNSでは繋がっているから連絡はつく。ふわふわした雰囲気の、タレ目が可愛らしいお嬢さんだ。当時は独身だったけれど、今は結婚して由布市に住んでいると風の噂で聞いていた。僕よりいくつか年上なので、その呼び名で形容するのには少し抵抗があるのだけれど、それさえ除けばスイーツ女子(笑)と呼ぶにふさわしい。彼女なら何か有益な情報を知っていても不思議はない。僕はiPhoneのメッセンジャーアプリを起動させた。

「夜分遅くごめんよ」
 気がつけば、すっかり夜も更けていた。しかし、思い立ったが吉日男はブレーキが効かないのだ。
「由布市のあたりで森の中にあるカフェを知らないかな」
「おそらく、やまなみハイウェイ沿いだと思うんだけど」

 おっとりした彼女のことだから、着信に気付いてくれないかもしれないと心配したけれど、意外にも返事はすぐに返ってきた。
「知ってる」
「おお、さすが(はスイーツ女子・・・とは言わなかった)だね」
「ここ」

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 間髪おかずに画像が表示された。おかしい、僕の記憶にある彼女と重ならない。もっと鈍臭くて、ややこしいスマホの操作などできないような、保護欲を掻き立てるタイプの女性だったはずだ。言葉遣いにも違和感を覚えた。こんなぶっきら棒な話し方だっただろうか。
「前から気になってたの」
「そことはちょっと違うような気がする」
「違わない」
「いや、別の店だよ」
「違わない、行ってきて」
「わかった、そこも行く」
「どんな店だったか教えて」
「夜遅くにごめんね、寝てた?」
 やはり常識はずれだったか。寝入りばなを着信音で叩き起こされて、それで機嫌が悪いのかもしれない。とりあえず下手にでることにした。
「そことは別に、知らないかな」
「おそらく、そんなに明るい感じの店ではないと思うんだけど」

「知らない」

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「ヒントはこの画像だけなんだ」
「知らない」
「森の中にある、隠れ家みたいなカフェらしい」
「あの辺は、ぜんぶ森よ。店があるとしたら森の中にしかない」
 言われてみればその通りだ。軽く考えていたけれど、隠れ家探しは思ったよりも難航するかもしれない。
「まって」
「コースターに書いてあるのは店の名前じゃない?」

 あらためて画像を見直した。てっきりコーヒーの染みだと思って見逃していたけれど、たしかに何かが書いてあった。

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 盲点だった。もしGS氏が僕のようにiPhoneのカメラで撮影していたら、ここまでくっきりと写ってはいなかっただろう。2文字目は「暮」だ。最初の文字はなんだろう。浮く、か。さんずいのように見える。浮暮なんて言葉があるだろうか。

「ここね http://s.tabelog.com/oita/z4402/z440201/44006206/

 すごい・・・僕の知る彼女と同一人物だとは思えない。
 手際の良さに唖然として、とっさに言葉が出てこなかった。もっと大らかで、悪く言えばボンヤリしていて、こんな些細なことに気付くタイプではなかったはずなのに。騙されていただけで、元々こっちが地なのかもしれない。いや、結婚は女性を変えるというのは本当なのかも。

「間違いないわ」
「ありがとう。びっくりしたよ」
「ご褒美は?」
「わかった、なんか考えとく」
「どんな店だったか教えて」
「はいはい」
「返事は一回で」
「はい」
「行ってらっしゃい」
「はい」
「迷わないでね」

 さっそく、その次の休みに出かけてきた。片道95kmのショートツーリングだ。以下は手短に書くことにする。

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 歳々年々人同じからずや。誰もがみんな変わっていくのに、僕の一人相撲は相変わらず負けっぱなしだ。

<次回 死神ライダーに続く>
 

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by TigerSteamer | 2014-11-10 01:11 | ツーリング

ひとり焼肉リーディング

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作品名小暮写眞館
作者名宮部みゆき
評価(星4つ)
 宮部みゆきが好きだ、なんてことを声を大にして言うと、大抵の人からは気の抜けたような返事が返ってくる。相手が読書好きであればなおさらだ。鉄板レースを前にして、一番人気の単勝に大金をぶち込むようなもので、醍醐味も何もあったものではない。

 一人暮らしをしていた頃に身について、未だに抜けきらない悪癖に、読書し「ながら御飯」がある。何かを読みながらでないと飯が食えない。これが朝食のトーストを齧りながら新聞を読むといった程度なら問題はないが、一人で外食をする際などは読む物のチョイスに大変苦労する。本を読み「ながら御飯」を食べるというのは、テレビを見ながらとか音楽を聴きながらに比べると、かなり文化的だと思うのだけれど、はたから見ると大変様子が悪いらしい。餃子の王将のカウンターで見ず知らずの酔っ払いから、米粒に宿る三人の神様について、こんこんと説教をされたこともあった。

 活字でさえあれば、たとえば御品書きでも、醤油の容器の裏にある成分表でも構わない。しかし、あまり褒められたことではないからこそ、最低限の嗜みだけは身につけるべきだ。肴がなければ手の塩を舐めてでもというのは、酒飲みの台詞としては痛快ではあるけれど、実際を目にするとあまり品が良いものではない。酔えれば何でもいいなんていうのは、アルコール中毒患者の言い草だ。肴には徹底して拘るべきで、むしろ両者を主体としたマルチタスクを行うのが正しい。旨いものを食うと本が読みたくなり、面白い本を読むと小腹が空くといった域にまで昇華しない限りは嗜みとは言えない。飲酒や喫煙でも同じことだ。ちょっとしたルールと制限を課し、あれやこれやと試行錯誤をするだけで、どこに出しても恥ずかしくない大人の嗜好になる。
 
 カバンの中に、常に外食用の本を一冊忍ばせておく。書籍の体裁であればなんでもいいというわけではない。食事には、それに適した本というものがある。箸を持つ手が留守になるほど重いものでは駄目で、もちろんその逆も然りだ。逆に言えば、食事の楽しみを邪魔しない程度に、あっさり読めるものでなくてはならない。いい塩梅の読み物というと、最近はやりのまとめサイトなどが最適だと思うのだけれど、スマホし「ながら御飯」は、読書しながらに輪をかけて様子が悪い。専門書や雑誌のコラム、エッセイ集などが手頃だ。普段の読書でこれぞという本を見つけたら、読むのを中断して食事用にとっておくのがいい。読書の志向は人それぞれなので一概には言えないけれど、作家によっても向き不向きがある。僕にとって、宮部みゆきは「ながらご飯」には適さない作家の筆頭だ。食事が手につかなくなること請け合いで、気が付けば料理は冷え切って、そろそろ閉店の時間などということになりかねない。

 ただし、焼肉に限ってはその限りではない。絶妙に噛み合って、最適のパートナーとなりうる。これに気付いたのは、長年にわたる僕の研鑽の賜物であり、読書し「ながら御飯」が紳士の嗜みである証拠だと胸を張って言える。
 そもそも焼肉というものは、食べるの前段階として焼く作業を行わなくてはならない。「ながら御飯」だと、これが実に難しい。本に気をとられている間に特上ロースが真っ黒焦げなんてことは序の口で、脂の多いホルモン類などは、気を抜くと炎の柱が立ったりもする。ゴウゴウと燃え盛るコンロを前に、泡を食って鎮火作業をせねばならず、読書の内容がすっかり消し飛んでしまうのだ。どこまで読んだかも憶えていないので、仕方なくページの最初に戻って読み返すことになる。最近の焼肉屋のコンロはトロ火の調節がしにくいというのもあって、これを何度も繰り返すと、終いには食い終えてから読もうかという気になる。ある意味、それこそが正解ではあるのだけれど、「ながら御飯」を嗜む身としては、かえって闘志が湧くのだ。

 宮部みゆきの凄さは、同じセンテンスを何度読み返しても、まったく苦にならないところにある。名文というのではないけれど、堅苦しさがなく、リズム感があって、七面倒な表現を用いない。内容がすんなり頭に入り、なおかつ記憶に留まりやすいから、どこまで読んだかを忘れても、読んだ内容まで霞むことはない。それだけではない、一つの文章に含まれている情報量が多くもなく少なくもなく、焼肉を焼いて口に運ぶペースと絶妙にマッチする。僕はどちらかといえば速読派で、じっくりと読み進めることをしないタチだから、なおさら新鮮な驚きを感じる。何度も読み返すことを余儀なくされているうちに、1度目には気付かなかった発見をすることがままある。行間に秘められた登場人物の心理に、だけではない。てにをはの使い方、読点の打ち方ひとつに深い感銘を受けることがある。
 読書し「ながら御飯」は満腹と共に終わる。せいぜいが2時間ほどだ。網の上で丸腸を転がしながらページを繰るひとときに無常の喜びを感じる。

 宮部みゆきは一人焼肉に耐えうる作家だ。これは最大級の賛辞だといっても過言ではない。しかし、これだけ高く評価し、大ファンであることを公言していながら、未だに全作品を読み切ったわけではないのが悲しいところだ。なぜなら、僕が薄給にあえぐメタボリック・サラリーマンであり、外で焼肉を食う機会など月に一度あればいい方だからだ。長期にわたるダイエット中であり、意識して焼肉屋を遠ざけていることもある。宮部みゆきが、その時のために温存しておかなければならない稀代の作家であるがゆえに、僕の読書は遅々として進まないのだ。
 

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by TigerSteamer | 2014-11-07 00:46 |