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最後の一口

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 自宅からそう遠くない場所に、スパゲティの専門店ができていた。
 看板に「洋麺屋」などとあるくらいだから薄々予想はしていたが、はたして箸で食わせる店だった。面白い趣向だ。僕は全然知らなかったけれど、後で調べてみたところ結構有名なチェーン店らしい。

 店員に案内されている間、僕の思考は何を食べるかの一点に集中していた。魚介類やトマト、チーズの類も捨てがたいが、やはり初めての店で食べるならペペロンチーノがいいだろう。できるだけシンプルなものがいい。二品目を頼むとしたら、その時はメニューを見ながら思う存分迷うことにしよう。なにはともあれ、とりあえずはペペロンチーノに決まりだ。
 ところが、僕が胸に描いたアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ(ニンニクと唐辛子、オリーブオイルのスパゲティ)は、メニューのどこを探しても見つからなかった。和風にアレンジしてあるからだという店の趣旨だけでは説明しきれない程、どれもこれも独創的でゴッテリと具が乗っていた。これではどうにも食指が動かない。しかたないので、かろうじて許せる範囲の品を選んでウェイトレスに伝えた。「ホタテづくしのペペロンチーノ」は、メニューに載っている写真より、実際はかなり控えめな貝柱が唯一の救いだった。「づくし」に期待して頼んだのなら、テーブルをひっくり返しかねない量だ。

 箸で食うのだから、当然音を立てて啜っても構わないわけだ。開放感を感じられてもよさそうなものだったけれど、これも当てが外れた。ヤキソバのようにして食べるスパゲティは、どうにも味気がなかった。
 こんなもんかと思いつつ、それでも一人前を平らげた。そして空になった皿を眺めながら、ふと違和感を覚えた。目当てのシンプルなペペロンチーノがなかったからでも、代わりのそれが期待はずれの味だったからでもない。ましてや、ホタテの量が少なかったからでもない。最後の詰めが甘いというか、寿司を食ったあとに緑茶がない座りの悪さというか、ともかく最後にあるべき何かが欠けていた。
 すっかり片付いた皿を前に箸の先を迷わせながら、唐突にその物足りなさの正体に思い至った。

 僕は最後の最後に残った、ちょびっとが好きなのだ。
 例えばそれは、すき焼きの鍋の底に残ったラードの亡骸だ。脂が抜けきってシワシワになったそれを、焦げ付いた甘辛い割り下に擦り付けてじっくりと味わう。ポテトチップスの袋の中の残骸でもいい。底に残ったのをザラザラと口に流し込んで噛み砕く。もしくは盛りそばのツユだ。食べ終わった後の、すっかり薄くなった麺ツユを啜る。麺の切れっ端や溶け切れなかったワサビのツブツブを、舌の上で転がしながら味わう。そしてなにより、エスプレッソコーヒーの最後の一滴だ。ザラメを多めに入れておいて、溶けきれずに残ったものをティースプーンの先で掬って舐める。その一口を、パンドラの箱になぞらえて「希望の一口」と呼ぶ。

 食べ終わったペペロンチーノ。その皿に残ったニンニクの微塵や輪切りの赤唐辛子を、オリーブオイルとゆで汁に絡めつつ皿の中央にかき寄せて、フォークの縁で掬い取って舐める。スプーンを使うほどの量ではないから、フォークのへりが最適だ。あのエキスの詰まったひと舐めが、その形状ゆえに箸では味わうことができない。画竜点睛を欠くとはこのことだ。
 決して及第点はやれないが、失格というほどの味ではなかった。値段もリーズナブルだし、さりとて量が少ないということもない。ウェイトレスの接客もしっかりしていた。なにより、手近なところにあるスパゲッティの専門店は貴重な存在だ。にもかかわらず、僕がこの店に行くことはもう二度とないだろう。我ながらまことに残念だが、これが決して味に煩いわけではない三十代独身男のコダワリなのだ。
 

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by TigerSteamer | 2011-12-28 01:41 | 食べ物一般

薬味の妙

 
 先日、某所で納豆界の常識を揺るがしかねない言葉を耳にした。大の男が大人気ないと、わかっちゃいるが聞いて欲しい。

 発言の主は僕の古くからの友人だ。46歳男性妻子あり。何と彼のまわりでは、納豆にワサビを入れて食すという。
 最初はワサビとカラシを間違えたのはないかと思い、嫌味にならぬよう言葉を選びながら、暗に指摘した。よくある言い間違いだ。そこで揚げ足を取って、鬼の首を取ったように騒ぎたてるほどの子供ではない。にもかかわらず、彼は確かにワサビだと断言した。友人は普段から非常に往生際の悪い人物であり、所謂「這っても黒豆」という奴で、自分の間違いを素直に受け容れることができないだけではないかと考えた。ところが頑として認めようとしない。あろうことか、納豆にカラシを入れるのは「節分の恵方巻き」や「バレンタインデーのチョコレート」と同様に、企業の戦術にハマっている可能性が大きいなどと言い放った。
 納豆にカラシを入れることによって、企業にどんな得が生じると言うのか。これはもう、認める認めないの問題ではない。僕が食いしん坊万歳の梅宮辰夫なら、仁義なき戦い風に眉根に皺を寄せて、「吐いたツバ飲まんとけよ」くらいのタンカは切るだろう。もはや譫言に近い。

 そもそも、納豆にワサビを入れるなら、添え物のカラシの小袋はどこにやるのだ。まさか捨てるわけではないだろう。なんてもったいない。エコロジーこそ最大の美徳とされる現代社会において、これほど常識を欠いた行為はない。シュウマイを食べる時に使うとでも言い逃れる気だろうか。しかし、シュウマイにはシュウマイのカラシの小袋が付いてくるものだ。つまり、どうあっても彼の論理は成立しない。使わなかった納豆の小袋は未来永劫余り続け、アキレスと亀にも似た悪循環を生む運命にある。
 いや、それは好みの問題だから、何を入れても構わない。醤油だろうがソースだろうがマヨネーズだろうが、はたまたバニラエッセンスだろうが、好きなものを入れて食べればいい。ただ、他のものならどうあれ、それが納豆のこととなると黙ってはいられない。ここまでくるともう性だ。
 
 このまま水掛け論を展開しても埒が明かない。そこで試してみることにした。果たして納豆にワサビはカラシを上回るのか。


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 こ、これは・・・なんというか(続き)
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by TigerSteamer | 2011-12-26 04:04 | 食べ物一般

ゲロへと続く長い旅路

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 作品名までは思い出せないが、たしか『島耕作』シリーズで有名な弘兼憲史の漫画だったように記憶している。登場人物が「もんじゃ焼き」を鉄板で焼きながら、その手軽さを、上手な作り方を説明する場面があった。その頃、もんじゃ焼きの小さなブームが訪れていたように記憶している。しかし、何せもう二十年近く昔の話だから、いまひとつハッキリしない。
 「もんじゃなんてものは」で始まって、ひとコマずつ行程が進んでいき、口に放り込んでさも熱そうに口をモゴモゴさせ、ちょっとしたウンチクを垂れて終わりだったと思う。 江戸っ子気質溢れる表現で、「ササッとやってクルクルッと巻いて出来上がり。さあ次はお前の番だ」と言わんばかりの、なんだか鮮やかすぎてよくわからない、手軽さをアピールしながら逆に余人を遠ざける内容だった。

 中学2年から高校2年までの4年間を東京で過していながら、東京の下町名物といってもおかしくない「もんじゃ焼き」の存在を知らなかった。初めて耳にしたのは、その後神戸に引っ越してからだ。その頃の僕は、完全に関西人に魂を売り払っていた。
 吉本新喜劇を見て馬鹿笑いしながら、お好み焼きをおかずに白飯を食べて得意になっていた似非関西人は、聞きなれない「東京風お好み焼き」を邪道だと決めつけた。もんじゃ焼きを食べたことがあるかと聞かれようものなら、「あんなゲロみたいなもん、人間様の食いもんとちゃうわ」などと嘯いた。今思えば、関西人の持つ東京への強烈なライバル心を目の当たりにして、一種の踏み絵のようなものだと捉えていたのかも知れない。

 その後、一度も「もんじゃ焼き」を食べる機会に恵まれないまま今に至るわけだけれど、食べてみたいと思うことがまったくなかったわけではない。ただ、その度に前出の漫画を思い出して、二の足を踏んでしまったのだ。
 というのも、漫画を読んだ限りでは、お好み焼きのように材料をただ焼いて食べればよいというものではなかったからだ。もんじゃの具材を混ぜる時の順序から鉄板の上に流し込むタイミング、特に小さなコテを使って鉄板からこそぎ落とし、クルクルとまいて食べる様子など、とうてい付け焼刃が通用するものではなさそうだった。初心者が迂闊に手を出して、本当に「ゲロ」状の食べ物を作ってしまったらどうしよう。要するに、上手く作れる自信がなかったのだ。

 先日、近所にオープンしたお好み焼き屋に行った。
 豚玉とイカ玉とエビ玉、ミックス玉ぐらいを想像していたのだけれど、思った以上にメニューが豊富だった。そしてその中に、広島代表「広島焼き」と、東京代表「もんじゃ焼き」の姿もあった。
 しかし、メニューにあるからといって、それが何だということもない。それまで何度となく経験してきたように、後ろ髪ひかれる思いで「もんじゃ焼き」から目をそらし、慣れ親しんだお好み焼きを注文した。そして食べ終わった時点で、「もんじゃ焼き」を食べるなら今しかないと確信した。
 なにせ、店員が焼き方を指南してくれるのだ。お好み焼きに関してはいっぱしのベテランを気取っている僕にとって、これは正直鬱陶しいだけのサービスでしかない。だが、「もんじゃ焼き」ならば話が違う。手取り足取り教えてくれるなら、これ以上ありがたいことはない。とうとう待ちに待ったその時がやってきたのだ。

 大きすぎる期待を裏切るように、店員は具材の入ったドンブリと作り方を書いた紙を置いて立ち去った。サービスが適用されるのはお好み焼きだけで、もんじゃはその範疇にないらしい。慌てて呼び止めたものの、返事はさらに素っ気無いものだった。
「さあ・・・作ったことないんで、すいません」
 スマイル0円を注文されたモスバーガーの店員だって、これよりはマシな対応をするに違いない。
 しかし、嘆いてばかりはいられない。賽は投げられたのだ。僕は目を皿のようにして説明書に見入った。一字一句漏らさないように小声で読み上げ、目を半眼にして復唱し、写真を瞼に焼き付けた。弘兼憲史の漫画とは違って、面白みもなければテンポも悪いが、とりあえず、この手順通りに作れば間違いはないはずだ。
 ちなみに、具材を入れたドンブリには花火が刺さっていたが、これが何を意味するのかは最後までわからなかった。

 

 さて、出来上がりは…(続き)
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by TigerSteamer | 2011-12-10 03:08 | 食べ物一般