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雨には雨のツーリングがある

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 目の前の楽しみをどうにも我慢することができない。この子供じみた堪え性のない性格のせいで、今まで沢山の痛い思いをしてきた。にもかかわらず、何度でも同じことを繰り返す。『後悔しない、反省しない、成長しない』が僕の抱える段階的三重苦だ。

 午前10時起床。ユニクロのヒートテックに袖を通しながら、おそるおそるカーテンを開けた。雨だった。隙間から差し込む弱弱しい光で予想はついていた。ただ、暗い色をした雲が分厚く垂れ込めているわりに、雨脚は強くないようだった。屋根を叩く雨音も聴こえなかった。
 ツーリングの主催者から、延期を知らせるメールが届いていた。降水確率40パーセント以上で中止と明記してあったのだから当然だ。前日の内にテレビの天気予報はチェックしたし、ネットでも調べた。この日、福岡県の降水確率は90パーセントだった。朝から雨になるのは確実で、常識的に考えて、早々に室内で過すプランへ変更するのが正しい。おそらく、参加を名乗り出た5人の中で、前の晩に雨具のチェックをしていたのは僕だけに違いなかった。

 ライディングウェアの上から雨具の上下を着込み、鉄芯入りの長靴を履いた。フルフェイスヘルメットのシールドには曇り止めが擦りこんであるし、手元は防水加工のグローブでガードしている。備えは万全だ。
 毎朝の通勤では必ずグズるエンジンが、この日だけはセル一発で始動した。午前中とはいえ、時刻はもう昼に近い。陽気の欠片も感じられないものの、僅かにしろ気温が上がっているせいかもしれない。あるいは、これが遊びだからなのかも。飼い主に似るのは犬だけではないようだ。
 たとえ天気予報が悪天候を告げていようと、予定時刻ギリギリまで空を見上げて止むのを待つ。少々の雨なら良し。仮に大降りでも、僅かな隙を狙って出発してしまう。もちろん晴れているに越したことはないけれど、雨の日には雨の日のツーリングがある。それが18歳で免許を取って以来の、今に至るも変わらない僕のツーリング観であり、場合によって目的地に若干の変更を加えるのが、そこからの20年で培った歳の功だ。僕は当初の目的地である長崎県の諫早ではなく、県境を跨がない糸島郡の二丈町へ向けて出発した。
 
 僕と祖母を除いた家族3人が生牡蠣に中ったのは、今を去ること十年前の事だ。中でも弟は症状が重く、三日三晩昏睡状態のまま生死の境をさまよった。大の牡蠣好きを公言する父、次いで母がそれに続き、幸いにも同じ食卓を囲んでいなかった僕は難を逃れた。一番食い意地の張っている祖母の腹がチクリとも痛まなかったのは、珍しく風邪気味で抗生物質を服用していたせいだ。敬虔なクリスチャンである彼女は、事あるごとに自分の無事を信仰の賜物だと言って、食前のお祈りを欠かさない。
 母は台所を一手に任されている責任を感じ、「牡蠣禁止令」を発令した。その日以来、我が家の食卓に牡蠣が供されることはなく、また外食の際も牡蠣だけは食うべからずと強く釘を刺された。僕がその言いつけを守り続けてきたのは、なんのことはない、元々あまり好きではなかったからだ。グロテスクな形状といい、淡白なくせに濃厚で舌にまとわりつく後味といい、嫌いとまでは言わないが、進んで食べようと思ったことはなかった。
 ところが、ここ数年で僕の味覚がガラリと変わった。大の甘党に陰りが見え始め、今までは嫌いな物の代表格だった春菊や梅干が大好物になった。そんな折、ネットや雑誌で「牡蠣小屋」なるものが紹介され始めた。聞くところによると、どうやら一大ブームであるらしい。そこで、もしやと思った。なにせ一昔前のことだから、禁忌を犯すのに躊躇いはなかった。

 海沿いには相応しくないビニールハウス群が、目的地の「牡蠣小屋」だった。前もって入念に調べたおかげで、ほとんど迷うことなく辿りついた。滅多なことでは使わない高速道路が、道中の九割を占めていたせいもある。
 傍らにオートバイを停め、少し離れたところにある直売所で牡蠣を購入した。籠一つに牡蠣が十個あまりで1,000円だった。だいたい1人でどのくらい食べるものかと売り子に尋ねたところ、大人2人で籠1つが平均だと返事が返ってきた。思ったより少なく感じるのは、牡蠣だけを食べる客がいないからだろう。アルコールや白飯の類は余所から持ち込むらしい。直売所には海の幸しか売っていなかった。それをあらかじめ知っていればと臍をかんだ。今からでも遅くはない。最寄のコンビニへ調達しに行くべきかとも思ったが、外はバケツをひっくり返したような雨だ。一度ヘルメットを脱いでしまうと、すぐに被りなおす気にはなれなかった。そこで、少しでも腹の足しになればと、2籠頼んだ。
 客は殆どいなかった。地元の若い漁師らしき少人数のグループが馬鹿話で盛り上がっていた。昼間からビールを飲んでいるところをみると、どうやら雨で仕事がフイになったようだ。 

 殻の膨らんだ方が下で、先に平べったい上側を3分ほど炙ってから引っくり返すのが正しい焼き方だそうだ。火にくべると間もなく、プシュッと音がして殻の合わせ目から潮水が噴き出した。こうばしい香りが食欲をそそった。ブロックにベニヤを渡しただけの竈は、テーブルも兼ねた造りになっていた。端には数種類の調味料が備えてあったが、そのままの塩味で十分美味しい。それに、下手に醤油の焦げた匂いでもさせようものなら、腹の虫が収まらなくなることは請け合いだ。炭水化物好きの僕は白飯がないことを心の底から呪った。

 殻をこじ開けるナイフと軍手は必需品だが、熱くなった汁がかかるたびに火傷しそうになる諸刃の剣だ。とっさに手に持った牡蠣とナイフを投げ出しても、指先の生地に染みこんだ熱は回避できない。何度も熱い思いをするうちに、我慢する術を憶えた。コツなどない。牡蠣の身に集中して、必死に堪えるだけだ。

 十年ぶりの牡蠣は思ったよりもずっと美味かったけれど、さすがにこればかり食べていては飽きてしまう。かえすがえすも悔やまれるのは白飯がないことだった。『後悔しない、反省しない、成長しない』は僕の三重苦だけれど、今回はその分だけ少し成長したのかもしれない。また来ることがあったら、あらかじめ用意しよう。
 

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by tigersteamer | 2011-02-02 07:03 | ツーリング