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呼子烏賊ツーリング

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 目覚ましのベルなしで起きたのはどのくらいぶりだろう。カーテンの合間から差し込む朝日が心地よい。仰向けに寝たままそっと窓の外を透かし見ると、ひさしの先は透き通るような青だった。絶好のツーリング日和だ。

 と、一抹の不安が胸を過ぎった。おかしい。昨夜の僕は仕事で午前様だった。クタクタになって帰宅したのが午前0時を少し回ったあたり。そこから夕食を食べてシャワーを浴びた。布団に入った後もなかなか寝付けず、携帯電話で最後に時間を確かめたのが3時ごろだったはずだ。目覚ましは7時半にセットしていた。集合時間は午前9時だ。最長でも4時間半しか眠れないはずなのに、この爽快感はなんだろう。
 おそるおそる枕元の携帯電話を引き寄せた。デジタル表示のアナログ時計が8時50分を指していた。

 慌てて飛び起き、ツーリングの主催者に電話をかけた。「待ってるから早く来なさい」との言葉に、思わずハイと答えそうになった。しかし、どう考えても無理だ。今から飯も食わずに飛び出したとしても、集合場所まで1時間はかかる。高速道路を使えば少しは短縮できるかもしれないが、今日のツーリングはショップ主催のマスツー(大規模ツーリング)だ。気心の知れた相手なら無理も通せようが、初対面の大多数に迷惑は掛けられない。現地で落ち合いましょうと伝えて電話を切った。
 呼子は初めて行く場所ではないし、近道も知っている。勝算はあった。なにせ、相手はマスツー御一行様だ。キチガイのように飛ばす数名の顔が思い浮かんだけれど、全員がそうだとは限らない。それに、信号のたびに分断される長蛇の列を率いて走るのは、並大抵ではない。
 思ったとおり、タイガーのエンジンはかからなかった。帰宅が遅かったせいで、昨夜のうちに手入れをしてやれなかった。最初のうちは景気良く回っていたセルも、次第に青息吐息へ変わり、仕舞いにはうんともすんとも言わなくなった。バッテリー切れ、それも想定の範囲内だ。車のボンネットを開け、ブースターケーブルを繋いだ。

 最寄のインターチェンジから高速道路に乗った。この際、安全運転をする気はなかった。呼子港に到着したのが午前11時20分、我ながらいいペースだ。主催者に電話が繋がらないところを見ると、まだ到着していないらしい。
 ただ待つのも芸がないので、売店でお土産用のイカシュウマイを購入した。一箱1000円を三つ、持ち帰って全部自分で食べる。缶コーヒーで一服するうちに、猛烈に腹が減っていることに気がついた。メンバーを差し置いて独りで先に食べることについては良心が痛んだけれど、黙っていればわからないことだ。手近な所にあったファーストフード風の店に入った。サンドイッチあたりの軽食で抑えておいて、合流してから本格的に食べればよい。
 メニューはゲソ天のみだった。さすがは呼子だ。実に潔い。仕方ないので、ゲソ天をつまみながら到着を待つことにした。これが実に美味い。やわらかい。さすが呼子だ。思わず2つ目を注文した。さすがは呼子だ。烏賊だけに如何ともしがたい美味さ。さすがは呼子だ。こんなことじゃいかんなぁと思いつつ、さすがは呼子・・・。

 その時、携帯電話の着信音が鳴った。


 どうやら、おいでなすったらしい。(後半へ)
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by tigersteamer | 2010-12-20 22:35 | ツーリング

究極のおでん

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 買い物の為にコンビニに寄ると、否応なくおでんが目に入る、そんな季節になった。コンビニおでんというのは、僕が学生だったころは不味い物の象徴だった。今は違うのだろうか。どこのチェーンも他の商品と比べて力の入りようが違う。品数も多くて、ざっと一目した限りでは、いったいどんな種なのかわからない物もある。

 たとえ、どんなに美味しそうに思えても、僕は外でおでんを食べない。絶対とは言い切れないし、実際に食べたことはあるのだけれど、少なくとも自分で金を払ってまで食べる気はしない。理由は単純だ。この上なく俺好みで、美味いおでんを出す店と巡り会ったことがあるからだ。
 店の名を「大門食堂」という。Googleやぐるナビで検索してみたけれどヒットしなかったところをみると、今はもうないのかもしれない。なにせ二十年近く前のことだから、潰れていても不思議はない。和歌山県は真言宗の総本山、高野山の東の外れに、大門という名の大きな門がある。山頂の盆地全体で一つの寺院を形成する高野山金剛峰寺の、いわば玄関口にあたる。その大門の隣にある食堂だから大門食堂。いかにも観光地らしいネーミングだが、あまりやる気は感じられない。
 名は体を表すの言葉通り、見るからにボロくて汚い、観光客がよけて通る店だった。よほど腹が減っていて、他の店が満員で列ができているような場合に限って、段取りの悪さを悔やみながら入るような店だ。近くには釜飯で有名な「つくも食堂」というのがあって、客の殆どはそちらに流れていった。主だったメニューはうどん・そばやラーメンの類なのだけれど、これがまたコシがなくて不味いし、味付けも薄い。今思えば、参拝にきた年寄りをターゲットにしていたのかもしれない。

 ただ、おでんだけは美味かった。正確には、おでんではなくて「関東炊き」だ。「関東煮」だったかもしれない。どちらの場合でも、「かんとだき」と読む。
 大門食堂の関東炊きは、薄墨を湛えたようにひたすら黒かった。出汁は創業以来、一度も替えたことがないとの噂で、表面には薄い海苔状の膜が張っていた。菜箸をさすと、ぱりぱりと散り散りに崩れる。出汁をとったあとの鰹節やいりこが固まったものだが、一見した限りでは、とても人間の食い物とは思えない。
 その薄墨で長時間煮込まれて、おでん種もすべて真っ黒だ。串をうったスジ肉は、溶けてふやけて常にデロンデロンだ。いつネタを仕込むものか、最初からその状態なのじゃないかと思えるほどに、いつ食べても柔らかい。串を摘むのではなくて、串ごとおたまで掬う。そうしないと、皿によそう前に落ちてしまう。口に入れるまでは辛うじて原型を留めているものの、舌の上にのせた途端にトロンと溶ける。
 玉子はピータンのようだった。黄身の中心までしっかり味が染み込んでいた。厚揚げがまた美味い。煮しめてスポンジのようになった豆腐が汁を限界まで吸って、頬張って噛みしめた途端、口いっぱいに溢れだす。
 僕は後にも先にも、あれほど美味い蒟蒻を食べたことがない。煮込みすぎて固くなった蒟蒻を美味いと思ったこともない。しかし、普通なら失敗作として廃棄されるはずの蒟蒻が、たしかに美味かった。角がカリカリに固まった蒟蒻に、カラシをたっぷり塗りたくって齧る。固いのは端だけで中は柔らかく、しっかり味がある。至高の瞬間だった。アツアツならさらに旨かろうと思うのだけれど、温度はぬるめだ。少し考えればわかることだが、それ以上熱くすると、あっさり最後の一線を越えてしまう。もはや食べ物ではなくなってしまう。

 おそらくあの関東炊きを、いまお店で食べることは不可能ではないかと思う。まず保健所が黙ってはいまい。食品衛生法やらなにやら、詳しくは知らないけれど、法に触れないはずはない。大門食堂が検索エンジンにひっかからない理由も、推して知るべしといったところだ。
 たしかに便利にはなった。巷には手軽で旨い物が氾濫している。コンビニのおでんだって、今ではきっと不味くないのだろう。でも、本当に美味しいものは、随分消えてしまったように思う。寒くなるたび思い出す。あのおでんを口にすることは、もう二度とないのだ。

 
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by TigerSteamer | 2010-12-12 18:57 | 食べ物一般