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ラムチョップを巡る戦い

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 ありとあらゆる動物性タンパク質の中で何が一番好きかという話をすると、どの肉もまんべんなく好きなのだけれど、コブシ一個分くらい牛肉が優っている。ビーフステーキにスキヤキ、しゃぶしゃぶ、ビールのつまみのビーフジャーキーも好きだ。ただ必ずしもそうとばかりは言い切れない。例えば鍋の季節になると水炊きの鳥肉が一番になるし、仕事帰りに空きっ腹を抱えている時なんかは、分厚いトンカツや見るからに安い素材を使った豚肉の生姜焼きが恋しくなる。
 では、オールタイムベストを挙げろと迫られたとしたら、牛でも豚でも鶏でもない、まして鯨でも馬でもイノシシでもない、少々馴染みの薄い肉を挙げざるをえない。まったくの圏外から一挙にジャンプアップ、何を隠そう羊肉だ。マトンではなくラム、生後一年以内の子羊の肉だ。食べ方に拘りはない。煮ても焼いてもいい。

 北海道育ちの僕にとって、ラムと言えばジンギスカンが真っ先に浮かぶ。しかし、悲しいかな近所に食わせる店がない。そもそも、九州には羊肉を食する習慣がない。普通に生活していては、めったに口にする事はないのだけれど、唯一の例外としてラムチョップがある。僕のカレー好きは常日頃から大いに喧伝するところで、幸いにもインド料理とラムは相性が良いらしい。よって、インドカレーを食べる時は必ずラムチョップも頼む。
 ラム肉を肉切り包丁でチョップするからラムチョップ、これが豚肉であればポークチョップになる。おそらく牛肉ならビーフチョップで、鶏肉ならチキンチョップと呼ぶことになるのだろう(聞いたことないけど)。使う肉の部位には関係なく、調理方法の垣根を越えて、羊を骨ごとぶった切りさえすれば、それはラムチョップなのだ。単純にして明快、ただしこの料理には問題がある。

 ラムチョップに初めて出会ったのは、忘れもしない京都の四条寺町通りだった。「男の遊艶地」とでも呼ぶべき街並みの一角にあるモンゴル料理店だ。その店のラムチョップは肋骨あたりの肉を使っていた。出来上がりは、食べやすいように肉の一片一片に細いアバラ骨がついていた。最近はとんと見なくなった、チューリップという形態の鶏の唐揚げに似ていた。ややお上品で、ボリュームはないけれど、たしかに食べやすい。
 僕が懇意にしているインド料理店のラムチョップに、この肋骨を使ったものは殆どない。解剖学の知識は皆無なもので、どことは言えないけれど、基本的に骨は太く、固い。背骨あたりを彷彿とさせる程にいびつで、入り組んだ形をしている。要するに、見た目ほどの食べではなく、その上に食べにくい。皿に盛られた肉片のうち、全部が全部そうだと、温厚な僕でも流石にブチ切れそうになる。

 先日訪れたインドカレー店で、たまたまそれに出くわした。見た目こそボリュームがあるものの、どの肉にかぶりついても、歯ごたえはガリッとかゴリッとか、ひどい物になるとまるで歯が立たない。僕が犬なら逆に喜ぶのかもしれない、そんな代物だ。
 その場でウェイターを呼びつけて、料理を突き返さなかったのには理由がある。何より、ラムチョップを愛しているからだ。ラムチョップを注文して、肉の塊が出てくる確率は、骨ばかりの場合とさして違わない。では、大吉と大凶のようなものかと問われれば、そんな単純な問題ではない。たしかに、肉が多いにこしたことはない。しかし、肉ばかりのラムチョップなど、本当のラムチョップではない。骨があってこそのラムチョップである。大切なのは中庸であり、それは仏の教えにも通じる。ブッダが悟りを開いたのはヤギの乳粥を食べた直後であり、中道の教えは羊のブツ切り肉へと繋がるのだ。
 肉ばかりのラムチョップはラムチョップではなく、ラムステーキと呼ぶのが正しい。それはまったく別のものだ。先ほど僕は、中庸こそが尊いと説いた。では骨ばかりのラムチョップはなんぞやと問われれば、それは紛うことなきラムチョップなのである。断じて犬のエサなどではない。むしろ、ラムチョップ以外の何者でもない。

 とりあえず、問題のラムチョップはさておいて、今や前菜と化したカレーを食す。辣さ二十倍のキーマカレーとガーリックナンとの相性は格別だが、いかに美味かろうともはや大事の前の小事でしかない。可及的速やかに片付けなくてはならない。なぜなら、ラムチョップと同時進行で胃の腑に収めることは、要する労力が釣り合わないという点において不可能だからだ。
 きっちりカレーを食べ終わったら、いよいよメインのラムチョップに取り掛かる。表面にへばり付いた肉を、ナイフを使ってこそげ落としにかかる。むんずと掴み鉄板に押し付けて固定し、ナイフをノコギリのように使ってゴリゴリと削る。肉と一緒に軟骨も削ぎ落とす。あらかた落とし終えたら、少しだけ残しておいたナンに巻いて食べる。美味いが、悠長に味わっている余裕はない。

 ここから先が肝心だ。ナイフでは落としきれなかった肉を、前歯でできうる限り齧りとる。肉だけではなく、骨にこびりついた皮膜まで剥がす。薄いゼラチン質の上で舌を擦り付けるように何度も往復させ、前歯、犬歯、奥歯、はては唇全体を使って剥ぎとる。骨と骨の間に指を突っ込んで毟る。毟りとっては、ちまちまと口に運ぶ。頑固な部分は舌先を押し付けてふやかし、ナイフの先で掻き取る。フォークの柄で骨を叩き割り、固まり切っていない髄を掻き出す。
 骨との格闘の末に、ナイフの歯は使い物にならなくなった。フォークもそうだ。テーブルの上には丸めた紙ナプキンが散乱している。だが、店側が僕という客に骨ばかりのラムチョップを出したということは、逆に言えば当然こうなる覚悟はあってのことだ。まして僕は一見の客ではない。常連で、上得意と言ってもよい。
 骨の断面を口に咥えてチューチュー音をたてて吸う。口の中に放りこんでまんべんなくねぶる。周りの客にしてみれば迷惑な話だろうが、そんなことを気にするような上品な育ちはしていない。口のまわりと指を舐めて、こびりついた脂をぬぐう。爪の間に入りこんだ肉片を吸い出す。フォークの先で歯をせせる。
 美味かった。これでこそラムチョップ。他ならぬインド料理なのだから、手で食うのこそが正しい。インド人ではないから、両手を使うのは差し支えない。

 この惨状をつぶさに見た店側が、次からは中庸を重んじる厳かな精神を育んでくれればよいと心から願いつつ、少し引き気味な面持ちのウェイターに料金を支払って、颯爽と店を後にした。骨にこびりついた肉は最高に味わい深いのだけれども、もう少し上手い食べ方があってもよい。それを突きとめるのが今後の課題だ。
 


 そして後日談(続き)
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by TigerSteamer | 2010-11-22 12:50 | 食べ物一般

まぼろしのメキシコ料理店

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 実は僕、メキシコ料理といえばタコスくらいしか知らない。あとはコンビニで売っているトルティーヤとか、サルサの類しか食べたことがない。ひょっとすると、知らないうちに口にしている可能性もあるけれど、それをメキシコ料理と認識していたわけではない。
 では、今まで一度も興味を持ったことがないのかと問われると、それは違う。何度か食べに行こうとしたことはある。メキシコ料理を食べるという、はっきりした目的を持って外出しておきながら、一度も達成できていないだけだ。

 以前勤めていた職場の近所に、こんな看板が立っている。場末のラブホテルのようなデザインといい、余白に書き込んだだけのサボテンマークといい、おざなりなソンブレロといい、なんとなくやる気が感じられない。屋号の「アミーゴ」とは、メキシコ語で「友達」という意味だったように記憶している。別に悪くはないけれど、ありがち過ぎて、とても食べに行きたいとは思わない。しかし、逆に言えば、そこが僕のツボだった。

 この看板がきっかけでなければ、メキシコ料理を食べたいと思うこともなかったのではないか。そして、他の物がきっかけだったとしたら、もっと早くメキシコ料理にありつけていたのではないかとも思う。
 なにせ、看板の指し示す通りに進んでも、この「アミーゴ」だかいう店には出くわさないのだ。矢印が指し示しているであろう曲がり角を折れると、そこから先は新旧大小取り混ぜた住宅がガッチリとスクラムを組んでいて、商用施設など入り込む余地もない。米屋や酒屋ならまだしも、飲食店があったところで客など来るまい。あらゆる可能性を想定して、脇道をしらみつぶしにあたってみたけれど、それらしき店は影も形もなかった。ひょっとすると、看板だけ残してお店は潰れているのではないかとも考えた。けれども、この看板が立っているのは、まがりなりにも片側3車線の幹線道路沿いだ。周りにはコンビニだの飲食店だのがひしめいている。しかも僕が初めてお店を探したのは、今を去ること3年前のことだ。いくらなんでも、ありもしない店の看板が、そんなに長い間放置されているとは考えにくい。

 おそらく、どこかにはあるのだ。この看板の矢印の先をどこまでも真っ直ぐズンズンズンズンと進み、立ちはだかる家の塀を突き崩し、壁によじ登り、屋根伝いに歩き続ければ、その先にはきっとあるのだ。ただ、それがメキシコ料理店であるが故に、メキシコという国の風土が生んだ料理を出す店であるがために、店に至るまでの複雑な順路をこの単純な矢印ひとつで済ませてしまったに違いない。おおらかとか、いいかげんとか、そんな陳腐な形容はアミーゴの一言の前では灰燼に帰すのだ。
 僕はこの、まともに食べたこともないメキシコ料理を愛している。いつか辿りついたその果てには、心行くまで堪能したいと思っている。実際、本当に食べたいと思うなら、地図や電話帳で調べるなり、インターネットで検索するなり、もっと良い方法があることはわかっている。それがわかっている上で、あえて矢印の通りに進んでみる。そして迷う。

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 これは余談だけれど、僕の好きな映画に『サボテンブラザーズ』という作品があって、その原題が"Three Amigos!"だった。アミーゴスはアミーゴの複数形だ。主演がコメディアンのスティーヴ・マーティン、チェビー・チェイス、マーティン・ショートといえば、大体のイメージはつくだろうか。ありがちなドタバタ・コメディなのだけれど、安っぽいのセットや、どこかで見たようなストーリーが雑妙に噛みあって、抱腹絶倒の面白さを生んでいる。見たことのない方には、胸を張ってオススメしたい。この映画を通じてアミーゴを学べば、きっと僕の言う事が頷けるにちがいない。
 しかたないのだ、それがメキシコなんだから。なんつっても、よりによってアミーゴなんだもの。
 

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by tigersteamer | 2010-11-21 00:20 | 食べ物一般