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悲しみの歌

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 無理してオペをする必要はない、と言うのだ。酷に聞こえるけれど、それはそれで頷ける話だ。
 ローギアが壊れているだけで、セカンドで発進する分には何ら問題はない。むしろ、今までどおり通勤主体の使い方なら、セローのスーパーローは使う必要がない。その通りだと思う。もしやるなら、開胸手術よりは移植した方が格段に安くつく。しかし、それすら無駄ではないか。28年落ちの老セローに、その価値はあるのか。

 仕事柄、延命治療の「する」「しない」は身近な問題だ。「しない」と決めて、それが本人の為だと言いながら、いざとなると決意が揺らいでしまう。自分に言い聞かせるかのように、苦しませるのは忍びないと繰り返す。そんな人を数多く見てきた。
「あとは君の思い入れだけだよ。このセローじゃなきゃダメだという強い拘りがあるなら、その選択もアリだとは思う。でも、俺ならやらないね」
 そう言われて、また頭を抱えてしまう。そもそも僕は、今までなんら孝行をしてこなかった。馬車馬のように働かせるだけ働かせて、洗車の一つもしてやったことがない。ここにきて悩むのは矛盾してはいないだろうか。

 人に喩えることの滑稽と不謹慎は承知している。でも、考えずにはいられない。エンジンの載せ替えというのは、人間で言えば何の手術なのだろう。もの言わぬ機械は、ただ佇むだけだ。
 

by tigersteamer | 2013-10-26 17:02 | オートバイ | Comments(0)