幻の温泉を求めて

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 休みの日の朝、布団にくるまったままiPhoneでグーグルマップを眺めていたら、高良山の付近に気になるものを見つけた。「温石温泉」という。高良大社から山頂を挟んで反対側に位置する。距離にして3kmあるかないか。しかし、あの近辺に温泉があるという話は聞いたことがない。

 近くにお住まいでない方のために、簡単に説明しておきたい。この高良山は、東西に長い福岡県久留米市の真ん中あたりに位置する。決して高い山ではないが、古来から神格化されていて、数々の歴史的建造物や遺跡が残されている。ツツジの名所であり、天然記念物や鳥獣保護区もあるのだけれど、そこいらへんは枚挙の暇がないのでバッサリ割愛する。
 何を隠そう、ウン十年前まで県内有数のローリング(死語だ)スポットとして栄えた場所だった。今ではセンターラインにキャッツアイが敷設され、いたるところに段差が設けられ、巧妙にカモフラージュした警察車両が鵜の目鷹の目で獲物を漁るハンティングレンジと化している。それでもツーリングスポットとしては健在で、走り屋風情もいないことはない。
 僕が福岡に移り住んでから10年以上経つ。その間に何度となく通い(残念ながら全盛期は知らない)、ライダーの溜まり場である頂上付近の公園でダベったり、たまには周辺の飲食店に金を落としたりしていた。

 そんなわけで、あらかた走り尽くした感があるのだけれど、よくよく考えれば訪れるのはオートバイに乗っている時だけであり、観光めいたことはしたことがない。僕にとっての高良山は、溜まり場としての公園か、そこからどこか他の場所を目指すための経由地、もしくは集合場所だったからだ。高良大社を拝んだことすらない。これでは何も知らなくて当然だ。
 幸い天気は良い。予報も崩れるおそれがないと言っている。絶好のツーリング日和だ。さっそく行ってみることにした。

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 着いて早々に思い出した。神社仏閣に興味がなくて高良大社を詣でたことがないのではない。いつも、この高低差を前に気後れしていたのだ。なんて軟弱な。弱り切った足腰を痛感しながら石段を上った。
 本殿でお参りを済ませ、御神籤を引き(吉だった。焦らなければ良縁に恵まれるらしい)、ついでに高良茶屋でうどんを食べた。薄味の出汁が美味しかった。

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 適度な運動も済ませたし、腹もくちくなったし、もういつでも帰って構わない心持ちだったけれど、まだ肝心の温泉探訪が残っている。
 高良大社前から上陽町に向けて、いま上がってきた道を東へ突き進む。2kmほど行けば高良山林道との分岐点に差し掛かるはずで、そこからさらに林道を走れば、後はもう目と鼻の先だ。
 心地の良いワインディングを、ひらりひらりと車体を傾けながら駆け抜ける。まだ風は冷たいけれど、陽なたと木陰の境目が明瞭で、肌で感じる温度差が楽しい。




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 立て看板が行く手を塞いでいた。ここから下れば、あと数百メートルで温泉に行き着くはずだ。「車両通行止」なわけだから、歩いて行けば問題はないのだけれど、運動不足に加えて先ほどの石段登攀(?)が堪えた。とんでもない難関にぶち当たったような気がした。
 仕方なく、iPhoneをひっぱり出して別のルートを探した。麓をぐるりと迂回して、反対側から登ってくるしかないようだ。しかし、一本道なわけだから、またもや入り口付近で道を阻まれる可能性が高い。
 その場でタバコを吸いながら、逡巡すること10分ほど。ええい、ままよ。歩くくらいの速度でゆっくりと進み、工事現場が見えたら諦めて引き返そう。

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 ギアをニュートラルに入れ、後ろブレーキで速度を殺しつつ進んだ。道は手入れがされておらず、落ち葉が堆積していた。人通りが絶えて久しいのだろうか。温泉があるということは入浴客がいるわけで、人の行き来がないとは考えにくい。付随する宿泊施設や管理している人がいないということなのだろうか。道の両脇に密生する竹林の奥で、人の手が触れぬまま静かに湧き出す泉をイメージしてみた。しかし、どうもしっくりしない。グーグルマップに記載されているくらいなのだから、秘湯の類であるはずがない。
 ほどなくして次の分岐点にさしかかった。

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 間違いない。この先に温泉はない。いや、温泉はあるのだろうけれど、商用施設としての温泉はない。泉質が枯れたか、もしくは実入りが乏しくて経営が立ち行かなくなったか。どんなところでも歩いて旅していた大昔ならまだしも、今どき、こう交通の便が悪くては客など来るまい。

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 ところどころ曲がったり凹んだりしているガードレールや、錆びて朽ちかけた柵が目立った。それはそれで幽玄な光景ではある。
 そのまま急な勾配を、そろりそろりと下っていくと、不意に視界が開けて数棟の家屋が姿を現した。ここが終着地、温石温泉だ。

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 エンジンを止めると、物音一つしない。廃墟なのだろうか。すっかり荒れ果てた庭が、微かにかつての隆盛を物語っていた。その昔、温泉宿だったはずの建物は今でも綺麗だった。まだ人が住んでいるのかもしれない。しかし気配はない。軒先には洗濯物の類が下がっていないし、何より必需品に違いないはずの自動車が見当たらない。もっとも、たまたま出払っているだけなのかもしれないけれど。

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 茶屋で購入した缶コーヒーを開けた。道端の古ぼけた案内板を読んでいると、どこか遠くはない山肌の上の方で、木の板を木槌で叩いたような音がした。コーンという乾いた音が山間に響き、こだまが尾を引いて消えていった。
 背筋をひんやりしたものが走ったのは、車両通行止めの看板を擦り抜けてきた負い目があったからだ。自分でも驚くような大胆な行動を後先考えずにとることがあるくせに、普段は存外に小心なのだ。
 林道マニアを自称するライダーの中には、私有地だろうがなんだろうが、通行止めのフェンスを撤去してでもオートバイを乗り入れる者がいると聞く。僕のしたことも、それと大差ない。
 踵を返したところで、もう一度、歩みを急かすかのように鳴り響いた。さっきよりも大きい。近づいてきているのかもしれない。

 大股でオートバイへ歩み寄り、誰に見せるでもなく冷静を装いながら、ヘルメットとグローブを身につけた。
 ごめんなさい、もうしません。胸の内でそう呟きながら、キックペダルを踏み下ろした。幸いにも、エンジンは一度でかかった。そのまま脇目もふらず、逃げるようにして温石温泉を後にした。音はもう追いかけてはこなかった。
 

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by tigersteamer | 2013-03-08 11:24 | ツーリング
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