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幻のラーメン

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 手当てのつかない残業をこなし、職場を出たのは23時を回ったあたり。もう慣れっこだが、いつものように午前様になりつつあった。福岡県地方は今年の冬一番の冷え込みとあって、雪こそ降らないものの息が白い。早くも痛み始めた指先を、暖気中のオートバイのマフラーにかざしながら、もっと厚着をしてくるべきだったと後悔した。

 寒さを我慢して、自宅まで一気に突っ走ってもいいが、こんな夜には定番のアレがいい。学生時代は「ラーメンライダー」と称して、冬の極寒の中をオートバイに跨り、わざわざ遠くのラーメン屋まで足を延ばしたものだ。寒さと空腹感が、一杯のラーメンをより美味しくしてくれる。

 ヘルメットのシールドを下ろしながら、早くも折れそうな心に喝を入れる。えいやっとばかりにシートをまたいだ。帰宅途中にあって、この時間まで開いているラーメン屋といえば2軒しかない。味はどちらもオススメできないが、ラーメン屋には違いない。家路と逆方向に足先を向ければ、美味い店はいくらでもあるのだけれど、この寒さではその気になれない。空腹が解消され、ついでに暖をとれれば、この際ウマいマズいはどうでもいいのだ。

 一軒は、福岡では最も有名なラーメンチェーン店だ。K龍という、全ての支店でまったく同じ味を提供することをモットーとしているような店・・・一説によれば、パックに入ったレトルトのラーメンを出すとのことで、これはどうやら真実らしい。いつ行っても客は多いが、それは店内の壁一面に備えてある漫画が目当てなのであって、実際はほとんど回転していない。ラーメンを食べにというよりも、漫画喫茶として使用されているむきがある。

 もう片方の店は、いつ行っても客がいない。それほど不味いわけでもないが、美味いわけでもない。もっと客を入れる秘訣を一つ挙げるとしたら、それは味を向上させることではなくて、K龍さんを見習って漫画を沢山置けばいい、とアドバイスしたくなるような店だ。もっとも、この店に漫画が置いてないのには理由がある(んじゃないかと思う)。二軒隣に漫画喫茶があって、おそらくそこと経営者が同じなのだ。その証拠に、漫画喫茶でラーメンや餃子、チャーハンの類を頼むと、そのラーメン屋と同じものが出てくる。

 そしておそらく、美味くもないラーメンだけを食べに行くよりは、漫画があったほうがいいという理由で、このラーメン屋はますます寂れていくのだ。サイドメニューの豊富さと、あえて漫画をおかない姿勢で差別化を図っているのだと思う。なんとなく経営者のやる気のなさが窺える。間に挟まっているのはスナックなのだけれど、ひょっとするとそこも同じ経営者かもしれない。両隣と同じく、とても流行っているようには見えない。

 しばし迷ってから、僕は後者に寄ることに決めた。漫画を読む気にはなれなかったし、仕事帰りで疲れていることもあって、味が同じレベルなら客が多い店は御免こうむりたかった。

 思ったとおり、客は僕一人だった。
 カウンターの向こうで、見るからにやる気のなさげなアルバイトの青年が、それでも一応はラーメン屋稼業であることを自覚してか、空回り気味な大声で「いらっしゃいませェ!」と怒鳴った。
 入り口から入ってすぐのテーブルにつき、メニューも見ずにラーメンを頼んだ。復唱したアルバイトが踵を返すのを見送って、煙草に火をつけた。食事のマナーにうるさい人や、ラーメン好きから言えば噴飯ものには違いないが、流行っていない店にはそれなりのいいところがある。なにより、周りに気兼ねせずに煙草が吸える。

 暫くして目の前に出されたラーメンは、普段その店で出されるものとはどこかが違っていた。
 スープを飲もうと口を近づけた時に、ぷんと鼻をついた匂いで、その原因がわかった。トンコツラーメンを嫌いだという人の殆どは、その独特の匂いが苦手であるらしい。普段トンコツしか食べていない人間には、今ひとつその臭さというのが意識できないのだけれど、言われてみれば、僕も初めてトンコツラーメンを食べた時はそう思ったような気がする。
 今夜僕が食べたラーメンからは、その匂いがした。思わず懐かしく感じてしまう反面、暗澹たる気分に陥った。要するに、スープが煮詰まっていたのだ。

 僕はすぐさま、白飯を追加注文した。口にする前から予測できる塩っ辛いスープを、飯で中和しながらかき込もうと思った。

 



 
 そしてそのラーメンが・・・なんとも美味かったのだ。
 スープが冷めるからという通ぶった理由で、いつもなら決して使わないレンゲで一口啜ってみた。美味い。
 味は確かに塩っ辛い。この上なく塩っ辛いのだが、味に深みがある上に、煮詰まってとろみを帯びたスープが麺によく絡む。一滴残らずスープを啜った後で、丼の底に沈んでいたザラザラした粉末は骨粉だと気付いた。他の店なら珍しくもないことだが、ここもちゃんと豚骨から出汁をとっていたのだなと、思わず妙な感心をしてしまった。

 いつもは美味しくもなんともないラーメンが、ただ煮詰まったというだけで、ここまで大胆に変化するものだろうか。元々のこの店の味を思い出そうと試みたが、どうにも思い出せなかった。一般に博多とんこつと呼ばれるラーメンに、ひとくくりにはできないほどのバリエーションがあることは、少し食べ歩いた者なら誰もが知っている。そんな中で、ここの店の味は、何の変哲もない個性をまったく欠いた、あっさりめの長浜系だったはずだ。それが、久留米ラーメンを髣髴とさせるほど濃厚に変貌している。それでいて舌にまとわりつかないキレがある。

 ひょっとすると、元々がこの味で、経費削減の為にわざと薄めたり、材料をケチったりして客に出していたんじゃないだろうか。そう勘ぐりたくなるほどに(具や麺は別として)、完成された味だった。
 空腹は最大の調味料だ。そんなことは百も承知だ。寒さのせいもあるし、なにより、その効果を期待してラーメンを食べに来たのだから。そういった要素を全てさっぴいても、この味は本物だった。

 麺もスープも余さず腹に収め、ふと気になって店員の顔を盗み見た。
 こちらのことは一切気にせず、カウンターの内側で、つけっぱなしのテレビをぼんやりと見ている。僕の反応を注意深く見ている様子もないし、驚く様を見て、ほくそえんでいるような様子もない。まるで無関心だ。僕が経営者なら、こんな店員は真っ先にクビにするところだが、不快感も湧いてこない。ただただ、狐につままれたような気分だ。
 勘定を払って店の外に出た後も、釈然としない気分は続いた。しかし、まあどうあれ、この味を維持できるなら、週に2回はこの店に通ってもいいかな、そう思って家路についた。

 結論を言うと、その翌日、前日と同じくして、深夜を回ったあたりで店を訪れた僕は、以前と全く変わらない、美味くも何ともないラーメンを食わされる羽目に陥った。一晩たって、魔法が解けたような気分だった。
 勘定を払って店の外に出る時に、思わず昨日のラーメンは何だったのか尋ねたい衝動に駆られたが、その一方で、なんとなくしっくりきたような気もした。

 流行っていない店のラーメンが、たとえ一日だけ美味くなったとしても、それに誰が構うだろう。逆なら、ちょっとしたニュースだけれども。 

 
Commented by みずっち at 2012-03-06 23:47 x
読んでるだけで腹減ってきた。
Commented by TigerSteamer at 2012-03-27 02:00
メシ食いにつれてってくださいよ先輩
by TigerSteamer | 2012-03-06 23:22 | 食べ物一般 | Comments(2)