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恋の肉うどん定食

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 二十数年前、僕は兵庫県は西宮市のとある喫茶店でアルバイトをした。
 生まれて初めてのアルバイトだった。そしてその時は知る由もないけれど、その後の長い職業遍歴の中でも、飲食店のフロアスタッフをやったのは、これが最初で最後だった。忘れもしない、高校三年生の夏休みのことだ。

 当時はまだ、後にA級戦犯的な扱いを受ける学力偏差値というものが、学校教育の中に確固として存在していた。大学受験を間近に控えた僕に、アルバイトにうつつを抜かす余裕などなかったはずだが、クラスメイトがそのアルバイトの話を持ちかけるやいなや、躊躇することなく頷いていた。期間はひと夏、予備校の夏期講習に参加する彼の代りに、ということらしい。
 一身上の都合で二年生まで学んだ東京の高校を辞め、春から兵庫県の私立校に通っていた。いわゆる大人の事情により、やむにやまれずだ。決して自分から希望した転校ではなかったから、少し自棄になっていたのかもしれない。そのうえ、生来のヘソマガリ体質が災いしてか、横這い状態から急下降し始めた偏差値の折線グラフを見ても、危機感を抱くことはなかった。

 人の流れとは逆方向に歩きたいと思う僕の偏った性格は、この頃がピークだったような気がする。
 そのくせ、本格的にレールをはずれる勇気はない。進学を諦めて、就職活動に転じる気もなかった。結局は皆と同じように勉強をして、皆と同じように大学の門をくぐるのだ。当時の僕にもそれがわかっていて、だからこそそんな自分が嫌だった。人によっては、それを思春期にありがちな心理だと一笑に付すかもしれない。しかし、あれから人生の半分以上を経た今でも、僕はあの頃と同じ感情に衝き動かされることがある。

 関西学院大学が近かったせいか、外回りと思しきスーツ姿の客に交じって、大学生らしき客もいた。自分も親がかりの身でありながら、おそらくは大多数が僕同様の脛齧りである彼らを嫌っていた。折角の長期の休みだというのに、目的もなくダラダラと過す彼らを、ひどく軽蔑しながら漫然と働いた。

 その喫茶店は、僕のほかにもう一人、女性のアルバイトを雇っていた。
 彼女は二つ年上で、地元に住んでいるものなら誰もが知っている、そこそこ由緒のある女子大の学生だった。流行の帰国子女ではなかったはずだが、英語がペラペラだった。だからと言って、決してお嬢様だったわけではない。
 ナチュラルな太い眉毛が流行っていた当時、彼女のそれは不自然を通り越して不気味ですらあった。眉毛があるはずの場所には、何も生えていなかった。まだバブルの残り香が漂っていた頃だ。街にはワンレングスとソバージュが溢れかえっていた。しかし、彼女の髪型はモップを逆さにしたようなショートで、さらに金髪だった。毛先はいつも痛んでいた。毎日時間ギリギリに、寝巻きと見紛うばかりのラフな服装でやってきて、オーナーが帰宅した閉店後の掃除は必ずサボって帰った。

 彼女はパンクバンドのボーカルで、活動資金を稼ぐためにアルバイトをしていた。
 バンドは4人編成で、何かの理由でクビにしたベースの代わりを、オーディションで決めるのだと言っていた。僕はすぐさま立候補した。ベースを弾いたことがあるかどうかは、このさい別問題だった。彼女と一緒なら、どんな無茶でも可能なような気がした。しかし、女の子バンドだからダメだと無碍に断られた。
 ジョーン・ジェットが好きだと言っていた。井の中の蛙的メタルキッズで、洋楽ロックといえばジューダス・プリーストとアイアン・メイデンと、そのフォロワーしか知らなかった僕に、お気に入り曲の入ったカセットを貸してくれた。僕は瞬く間にファンになった。ただし(たしかにヘヴィ・メタルとハードロックが混同されていた時代だったけれど)、その日のうちに宗旨替えを果たしたのは、いかにもポリシーがなさそうで、我ながらやりすぎだったと思う。

 その反面で、実は山口智子も好きだったらしい。
 休憩時間に、一見縁のなさそうな女性向けのファッション誌を眺めながら、ボソリと呟いた。僕はとっさに返事が返せなかった。ジョーン・ジェットと山口智子、姉御肌という意味では共通点もあったのかもしれないが、あまりにヴィジュアル的に乖離していたからだ。彼女とジョーン・ジェットを結ぶ線の延長線上に、山口智子はなかった。麓に向かって登山道を下っていたら、何故か隣の山の頂上に出てしまったような心境だった。僕が唖然としていると、彼女は恥ずかしがるどころか、万引きが見つかった挙句、店員の前で居直る不良少女のような口調で、トレンディドラマが好きで何が悪いとばかりに見得を切ってみせた。何も悪いはずがなかった。

 彼女は決して美人ではなかった。今でこそ、横顔が天然記念物のモリアオガエルに酷似していたと冷静に思い出すことができる。しかし、まったく判断能力を失っていた当時の僕は、耳と目元が山口智子になんとなく似ているとおだてて、無理矢理に機嫌をとろうとした。いや、半ば本気でそう思っていた。
 彼女もまた、僕が嫌いな大学生の一人のはずだった。しかし、毎日毎日カウンターに並んでは、雲雀の子のように囀りながら口を開けているだけのジャガイモ頭どもとは違っていた。大学にはまともに通っていないと言っていたからだろうか。違う。

 彼女は特別だったからだ。
 恋をしていたからだ。




 前にも書いたが、僕は一目惚れをしない。
 友人として、あるいは知人として、つきあっていく過程を経て好きになることはあっても、初対面の相手を好きになったりはしない。少しずつ、少しずつボルテージが上がっていくものであって、何かの弾みで、いきなりボリュームが全開になったりはしない。
 ただし、この時の恋は例外中の例外だった。

 アルバイトが始まって間もない頃、僕と彼女は賭けをした。
 何の賭けだったかは記憶にない。次に来る客の性別だとか、高校野球の試合結果だとか、そういった他愛のないことだったと思う。勝った方が、その日の昼食を奢ることになっていた。
 モーニングサービス目当ての客足が途絶えてから昼飯時までの時間は、とにかく暇だったのだ。時間にルーズで、なにかといえば楽な仕事をしたがる彼女を、僕は好ましくは思っていなかった。でも、そんな相手でも、なにかしらミュニケーションをとらなければやっていられないほど、手持ち無沙汰な時間帯だった。
 賭けは僕の勝ちだった。そこで、その日はいつもの賄ではなく、近所の定食屋に食べに行くことになった。

 バイト代は、労働量と比較しても、決して割りの良いものではなかった。それに引け目を感じていたのだろうか、店主はあまり煩いことを言わなかった。面と向かえば、それなりに笑顔で話しかけてくれる気さくな人だったが、殆どの時間を厨房で過していたし、面接の時に感じた「気の弱そうな人」という曖昧な人物評以外は、あまり印象に残っていない。
 だからこそ、彼女のような勤務態度でもアルバイトが勤まったのだろう。僕が雇い主なら、すぐに暇を出しているところだ。

 定食屋での僕は気もそぞろだった。
 昼飯時を過ぎた客の少ない時間帯だとはいえ、いつもは交代で食べる食事を二人いっぺんにとっていた。店に残してきた店主の心象が、気になって仕方がなかった。これは重大な職務怠慢だ。
 無断で出てきたわけではない。彼女が一言断った。ひと夏だけのピンチヒッターの僕とは違い、彼女はアルバイトとしては古参だったから、多少の我侭は言える立場だったのかもしれない。ただし、その口調は、飼い主が犬に向かって「おすわり」を命じる時と同じものだった。
 そしてなにより、それまでの僕は、歳の近い女性と食事を共にしたことがなかった。目の前の女性は、そういった気遣いからは縁遠い人種のように思えたけれど、だからと言ってなおざりにできるほど割り切った性格でもなかった。

 垢じみたすわりの悪いテーブルに差し向かいで座り、よるべなくメニューに目を落としていた。
 賄飯ならばおかわりも自由だったのに、奢ってもらうとあっては、厚かましく二品三品と頼むわけにもいかない。高校三年になって現役は退いたとはいえ、90キロ超級の柔道部員としては、正直なところいい迷惑だった。つまらない賭けなんてするんじゃなかったと、心の底から後悔した。
 そんな僕の胸中を知ってか知らずか、彼女はメニューの中で素うどんに次いで安い、「きつねうどん」を頼んだ。
 僕は葛藤に苦しんだ挙句、彼女と同じものを頼もうとして、すんでのところで思いとどまった。メニューの中に、それより90円高い「肉うどん定食」を見つけたからだ。目玉が飛び出るほど高い料理を頼むわけではない。このくらいはよかろう。なにしろ、僕は賭けに勝ったのだから。

 「肉うどん」は「きつねうどん」より20円高かったけれど、午後からも続く労働に打ち勝つには、「肉」という言葉が持つエネルギッシュでハイカロリーなイメージが欠かせないもののように思えた。
 それに、定食という言葉がついている以上、最低限うどんに白飯がついてくることは間違いない。あわよくば、野菜炒めくらいはついてくるかもしれない。もし、野菜炒めに豚肉でも入っていようものなら、量的にはずっと寂しいものになるに違いないが、それでも、肉うどんだけよりは随分マシなはずだ。

 しかし、僕のもくろみはあっさりと打ち砕かれた。
 目の前に差し出されたお盆に載っていたのは、「肉うどん」と多めの「白飯」、そして禅寺の食事を彷彿とさせるような御新香の小皿だけだった。思わず、まじまじと見返してしまった僕の視線をはぐらかすように、給仕のおばちゃんは急ぎ足で去っていった。
 「肉うどん」と「白飯」。いったい、この二つをどう食べ合わせればよいのか、皆目見当がつかなかった。おかずになりそうなのは御新香と、うどんの上に載っている申し訳程度のクズ肉だけだ。どう調節しても白飯が残ってしまう。あとは炭水化物をおかずにして炭水化物を食べろとでもいうのか。柔道部の顧問の先生が、学生時代にお金がなくて、チャーハンをおかずにして白飯を食べたことがあると言っていた。いわゆる、チャーハン定食というやつだ。あれは食糧事情の貧しかった頃の笑い話ではなかったのか。
「どないしたん、食べへんの?」
 食事を前にして硬直している僕を見て、彼女は不思議そうに言った。
「食べます。けど、どうやって食べたらいいのか・・・」
「そんなもん、箸で食べたらええやんか」
「いや、そういう意味じゃなくて」
 救いの手を差し伸べてくれそうなのは、目の前の彼女しかいなかった。僕は恥をしのんで打ち明けた。
「そうかぁ、東京もんやゆうてたもんなぁ」
 ということは、この組み合わせは、関西にはあるが東京にはないものらしい。生まれは東京じゃなくて宮城ですと、あえて付け加える余裕はなかった。そうだ、僕は東京もんだ。親の仕事の都合でこっちに引っ越してきた、右も左もわからない余所者なのだ。理由のない敗北感に打ちのめされた。

「おばちゃん、ごはん追加で。小盛でええよ」
 彼女は、運ばれてきた白飯を待って、無言のままに食事を再開した。
 まず、油揚げをおかずに白飯を三分の一ほど食べ、次にうどんを啜った。僕も彼女の一連の手順を見真似たが、とても味わうような余裕はなかった。
 うどんを残さず食べ終わると、今度は小皿の中のお新香を白飯の上に移動させ、いったん丼に戻って、葱の浮いた汁を中ほどまで飲んだ。そしてうどんの丼とご飯茶碗を見比べ、さてとでも言うように一拍おき、浅く息を吸い込み、おもむろに丼を片手にとると同時に、残った白飯に箸を突きたて、こころもち斜めに傾いだ箸を伝わせて、一滴もこぼさず、残った汁をご飯茶碗に注ぎ込み始めた。

 魔法のようだった。
 彼女が食べ終わった器には、汁一滴、ご飯粒ひとつ残っていなかった。一つ一つの手順が完璧に組み合わさり、ひと欠片の無駄もなく完結していた。それはまさしく芸術だった。
 どや、とでも言うようにニヤリと笑った彼女に促され、おそるおそる真似てみた。要は汁かけご飯だ。種さえ明かしてしまえば他愛もない。しかし、汁を茶碗に注ぐ過程で、大幅にこぼしてしまった。丼の縁の方が茶碗よりも広いから、傾ける加減が難しい。お盆の上に広がった水溜りを前に、なすすべもなく、ただただ失意の底に沈んでいる僕を見て、彼女は言った。
「最初に飲んで水かさを減らしとかんから、こぼれんねん」
 子供の粗相をたしなめる、母親のような声色だった。彼女の差し出したおしぼりを受け取りながら、僕は一瞬で恋に落ちていた。往来でやかましく鳴く蝉の声が、二人の未来を祝福する鐘の音のように響いた。

 あのときの心理状態は、今でもよくわからない。
 しかし、恋をするのに理由などない。肉うどん定食がとりもつ恋。忘れえぬ、ひと夏のアバンチュール。ただひとつだけ言えるのは、もし彼女が、汁を茶碗に注ぐのではなく、残った白飯を丼にぶち込んでいたら、たぶん恋などしていなかっただろうということだ。むしろ逆に、ますます彼女のことが嫌いになっていただろう。

 進学を諦めて、彼女のために働こうと決意した。後に反逆のヒロインとして語られる彼女の無名時代を支えた、日陰の男になろうと思った。永遠に続くと信じたこの恋は、夏休みの終わりと同時にあっさりと、僕の壮絶な自爆という形で幕をおろすことになるのだけれど、それはまた別のお話。
 折しも、爆風スランプの「リゾラバ」が大流行していた。言われるまでもない、夏の恋なんかまやかしだ。
 

by tigersteamer | 2013-05-18 02:19 | 食べ物一般 | Comments(0)